毎日新聞大阪本社の記者で、後に論説委員として健筆を振るった藤田信勝(1980年没)は敗戦1週間後の45年8月22日、大阪警備府の司令長官(海軍中将)に会いに行く。藤田の日記「敗戦以後」によると、長官最後の記者会見だった。海外駐在の経験も豊富だった長官は自らの敗戦責任について、こう語ったという。
毎日新聞大阪本社の記者で、後に論説委員として健筆を振るった藤田信勝(1980年没)は敗戦1週間後の45年8月22日、大阪警備府の司令長官(海軍中将)に会いに行く。藤田の日記「敗戦以後」によると、長官最後の記者会見だった。海外駐在の経験も豊富だった長官は自らの敗戦責任について、こう語ったという。