夫・正さんの写真を手にする木下和子さん(中央)を囲む常連客と家族=神戸市兵庫区上庄通2
夫・正さんの写真を手にする木下和子さん(中央)を囲む常連客と家族=神戸市兵庫区上庄通2

 ものづくりの町には「角打(かくう)ち」がよく似合う。仕事帰りの常連が酒屋ののれんをくぐり、立ち飲みでコップ酒とアテを味わう。店主らとの会話で心もほぐし、サッと帰る。神戸市兵庫区・和田岬の木下酒店もそんな店だった。三菱重工業や三菱電機の工場が並ぶ「三菱村」に店を構えて100年余り。3代目夫妻が切り盛りしてきたが、今夏、夫が亡くなり、店を畳むことに。最後の日を取材した。(段 貴則)

 ガラガラ、ガラと、年季の入ったシャッターがきしみながら上がった。

 8月最終の平日、29日午後4時前。木下和子さん(73)が、最後の開店準備を始めた。夫の正さんを8月に亡くし、常連に感謝を伝えるため「月末までは」と一人で店を続けてきた。

 とりわけ現役世代の常連たちは2人を「お父さん」「お母さん」と慕い、店に通い始めたきっかけも「お父さんとお母さんが仲良くて」と口をそろえる。

 この日、和子さんが用意した手作りのアテは人気の「すじみそ」(200円)など。仕事帰りの時間帯には早いが、昔なじみの客らが駆け付け、開店直後から店はいっぱいになった。

 「神戸立ち呑(の)み八十八カ所巡礼」の著書があり、角打ちに詳しいライター芝田真督(まこと)さん(78)も常連客らと肩を並べ、酒が進んだ。

 「この店はね、国宝級の角打ちですよ」

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 店は、正さんの祖父が1921(大正10)年に開いた。4畳半ほどの店にL字形の木製カウンター。客10人でいっぱいだ。カウンターのすぐ脇から住居へとつながり、漫画「じゃりン子チエ」に登場する店のような造り。まさに昭和だ。

 「おかえり~」。店に立つ正さんが、いつもにこやかに客を迎えた。和子さんは朝からアテを仕込んだ。鶏がらと和風だしをブレンドして作るおでんは自慢の逸品で、特にロールキャベツがよく売れた。

 「酒は3杯まで」。先代の頃から、そんなルールもあったという。和子さんは「飲み過ぎて翌日の仕事に響かないよう、健康や体を気遣ってのことやった」。

 常連は近隣で働く人だけでなく、遠方から足しげく通う人も。店に近いノエビアスタジアム神戸でサッカーやラグビーのワールドカップの試合があると、外国人客も店を訪れ、日本の下町文化を楽しんだ。

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 夕方、仕事を終えた常連も集まり始めた。店内で場所を譲り合い、店前のテーブル席にもあふれた。

 常連にとって店はどんな場所だったのか-。あらためて聞いてみた。

 「子どもの頃、小銭を握りしめてワクワクしながら駄菓子屋に行ったでしょ。それと一緒の感覚」。会社員の常連男性(50)がこう言えば、連れの同い年の男性は「お父さんが、客の話をニコニコしながら『アホなこと言うて』と聞いてくれて。仕事のストレスを落とせる場所」と答えた。

 常連の中で若手の男性(39)は「知らない人、世代が違う人とも、たわいもない話でつながれる」。

 午後8時半を過ぎ、閉店時刻に。いつも通り、客が店の片付けを手伝う。片付けが終わっても、和子さんを囲み、店を後にする常連はいない。その中に、20歳の頃から通う男性(56)の姿もあった。夫妻の次男(43)と顔を合わせると、涙をこらえきれなくなった。

 「きょうは絶対泣かんとこうと決めとったんやけどな。でもな、顔見るとアカンわ。やっぱり、お父さん、そっくりやな」

 店を閉めた和子さんは「さみしいけど、みんなに助けられて無事に終えられた」と肩の荷を下ろした。

 後日、店のシャッターには、客や地域への感謝をつづった張り紙があった。

 「100年以上、家族で力を合わせながら店を続けてまいりました。お客さまとの会話や店内にあふれる笑い声、肩を並べて過ごす温かな時間。一つひとつが、家族みんなにとってのかけがえのない思い出です」