組織犯罪対策部長時代、ドイツでのインターポール総会に出席した際、「ベルリンの壁」の跡を視察した
組織犯罪対策部長時代、ドイツでのインターポール総会に出席した際、「ベルリンの壁」の跡を視察した

 2005年、組織犯罪対策部長に就任した。同部はその前年新設された組織で、暴力団、国際捜査、薬物・銃器を担当する。

 うかつなことだが、自分に残された時間に限りがあることをその頃ようやく悟った。30年近く警察の仕事をしてきて感じた戦略的課題はいくつかある。長官をやったとしても退職まで最長10年、課題解決にどれほど貢献できるのか。年々持てる権力は大きくなるが時間はなくなっていく。

 そういう時期に、以前から自分なりの課題だった暴力団対策を担当できたのは幸運だった。暴力団対策法施行10年を経過しても暴力団勢力が目立った減少を見せない中、暴力団だけでなく、共生者も含めた裏社会全体への富の流入を止める抜本的な対策を模索した。

 経済産業省からの出向者で暴力団排除対策官の岸本吉生君(1985年通産省採用)の発案で、2007年に「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」(犯罪対策閣僚会議幹事会申し合わせ)が策定されるとともに、金融庁の監督指針に反社排除が明記され、金融機関の取引先への対応が飛躍的に厳格化した。同じ時期に、暴力団との関係が取りざたされる地上げ業者が逮捕された。

 その業者を使っていた大手不動産会社は銀行側の厳しい姿勢によって黒字倒産し、これにより反社排除の重要性が企業社会に強く印象づけられた。この時期から暴力団勢力は大幅な減少を続け、現在は当時の4分の1以下になった。長年にわたる暴力団排除の取り組みにこれら一連の施策が加わったことで、ゴールはまだまだ先だとはいえ、暴力団対策はようやく分水嶺(れい)を越えたのではないかと思う。

 暴力団対策以外にも課題はいくつもあったが、例えば警察の全国一体的運用の強化は、都道府県警察を中心とする枠組みの下ではほぼ限界まで措置されたので(第15回に詳細)、それ以上の改革は後世に譲ることにした。このほか、組織運営の合理性を高めることも私にとって重要な課題だったが、しかるべきポストに就かなければ解決することが難しいので、当面は構想を温めながらチャンスを待つことにした。

 金融活動作業部会(FATF)は1989年のアルシュ・サミット経済宣言によって作られたマネーロンダリング(資金洗浄)対策の多国間枠組みだ。その勧告を受けて、わが国も、金融機関に疑わしい取引の届け出や本人確認を義務付けてきたが、私が組織犯罪対策部長になった頃、新しい勧告で、対象業種が金融機関以外にも拡大された。これに必要な立法をどの省庁が行うのか、さらにマネロン情報の中枢を担う資金情報機関(FIU)をどの省庁にするのかが問題になった。金融庁の三國谷勝範総務企画局長(後の金融庁長官)、法務省の大林宏刑事局長(後の検事総長)、それに私の3人が官邸に何度も集まり議論した結果、いずれも警察庁が引き受けることになり、組織犯罪対策部で犯罪収益移転防止法の立法作業が始まった。

 (よねだ・つよし=元警察庁長官、神戸市顧問)