1970年代は国内外で極左過激派の活動が活発だった。1977(昭和52)年9月にはダッカハイジャック事件が発生、それを受けて海外で日本赤軍などを追跡する部署が作られた。その半年後の78年3月26日、開港直前の成田空港(当時の名称は「新東京国際空港」)の管制塔に過激派が乱入し、管制機器を破壊した。同空港の開港は5月20日まで延期された。日曜日だったが電話で呼び出され、片桐裕さん(75年採用、後に第23代警察庁長官)と私は直ちに出勤した。成田では以前から激しい空港反対闘争が続いており、事件を受けて、空港警備の専門部隊を、千葉県に負担をかけないで設置する方針が急に決まった。