中国の年画「張仙射天狗」。春節によく飾られている
中国の年画「張仙射天狗」。春節によく飾られている

■県立歴史博物館 日本民俗学が専門の香川雅信学芸員

 この絵は、中国の春節(旧正月)の際に、幸福や除災などを願って室内や門口に貼られる「年画(ねんが)」の一つです。タイトルは「張仙(ちょうせん)、天狗(てんぐ)を射る」。張仙は子どもの守り神とされる仙人で、手に持つ弓は、矢ではなく丸い弾を撃ち出す「弾弓(だんきゅう)」と呼ばれるものです。張仙はこの弾弓で「天狗」を撃ち、子どもたちを守っているのですが、そこで問題。天狗はどこに描かれているのでしょう? 

 実は、右上の雲の中に描かれている、ペガサスのような翼の生えた4本足の獣が天狗なのです。「あれ? 私たちが知っている天狗とはずいぶん違うな」と多くの方が思われたことでしょう。ですが、天狗は「天の狗(いぬ)」と書きます。このことからも明らかなように、天狗とはもともとイヌの姿をした怪物だったのです。

 「天狗」の起源は中国にあります。そしてその正体は、宇宙から地球に落ちてくる隕石(いんせき)だったのです。隕石が地球の大気圏内に突入した時には、音速を超えているため衝撃波(ソニックブーム)が発生します。これは、ごう音となって聞こえるのですが、それが、イヌがほえる声を思わせたことから天のイヌ、「天狗」と名づけられたのです。

 現在でも、中国や台湾では「天狗」はイヌのような4足獣の姿で描かれ、子どもの病気や不妊、また日食・月食を引き起こす魔物として恐れられています。

 こうした中国の「天狗」は、すでに飛鳥時代には日本にも伝えられていました。「日本書紀」舒明(じょめい)天皇9(637)年の記事には、旻(みん)という僧侶が流れ星(隕石)を「天狗」と呼んだことが書かれています。旻は遣隋使(けんずいし)として隋(中国)への留学経験があったため、「天狗」のことを知っていたのです。

 ところが、のちにこの「天狗」に「アマツキツネ」という訓がつけられたことからもわかるように、日本ではイヌではなく人を化かすキツネの一種とされるようになったことから、日本の「天狗」は独自の「進化」を遂げていきます。

 「天狗」は「天狐(てんこ)」とも書かれましたが、その姿はキツネと言いながら鳥の姿をしていました。こうした鳥の姿、とりわけトビの姿をした「天狗」が、中世を通じて主流になっていきます。

 さらに江戸時代になると、突如として高い鼻を持った「天狗」のイメージが主流になりました。この高い鼻がどこから出てきたのか、よくわかっていないのですが、鳥を擬人化して描く際に、クチバシを鼻として描いたからでは、とも言われています。この高い鼻の「天狗」が、現在の私たちが思い浮かべる「天狗」の姿ですが、その歴史は意外と浅いと言えるでしょう。

 このように、「天狗」のような妖怪にさえ歴史があり、私たちが現在、当たり前と思っていることは、実は歴史的な変遷の結果であって、決して「当たり前」ではない、ということが実感いただけると思います。

 この連載では、あちこち寄り道をしながら、私たちの思い込みをひっくり返すような発見の旅に、皆様をお連れします。

■9人の学芸員、多彩に研究

 兵庫県立歴史博物館は、世界遺産である姫路城のすぐ北側にあり、開館41年を迎えます。あの東京ディズニーランドと同い年です。

 同館の基本設計を担ったのは、「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞した世界的建築家、故丹下健三氏。白い壁や狭間(さま)(城壁に開けられたさまざまな形ののぞき窓)を思わせる換気口など、姫路城のさまざまな意匠が取り入れられるほか、カフェのガラス窓には何と姫路城天守がくっきりと映ります。最近では「映える」スポットとして人気を集めるようになりました。

 ここで、私を含めて9人の学芸員が鉄道や地獄絵、源平合戦など、さまざまな研究テーマに取り組んでいます。その範囲は県内にとどまらず、現在は兵庫・沖縄友愛提携50周年記念特別展として「首里城と琉球王国」(5月12日まで)を開催中です。ぜひ一度足をお運びください。