おしゃたか舟神事を見学し、氏子らと写真に収まるテルミン奏者のドリット・クライスラーさん(中央)=明石市港町
おしゃたか舟神事を見学し、氏子らと写真に収まるテルミン奏者のドリット・クライスラーさん(中央)=明石市港町

 今夏、オーストリア出身のテルミン奏者で作曲家のドリット・クライスラーさんが公演のため来日した。1920年にロシア人のレフ・テルミンが発明した世界初の電子楽器であるテルミンは、最も演奏困難な楽器のひとつと評されており、ドリットはテルミンパフォーマンスは世界で唯一無二と目されている。

 ときを少々戻すが、大ヒットしたテレビドラマシリーズ「ハンニバル」でレクター博士を演じた俳優のマッツ・ミケルセン氏が5月に来阪していた際、たまたま夏の予定の話になり、自分はテルミニストと過ごすと言うと「ああ、テルミン! 僕はレクター博士として演奏したシーンがあったよ。幻想的で素晴らしい楽器だよね」と盛り上がった。爆発的なレジェンド作品にも使用されたテルミンだが、日本での人気や認知度は非常に高いという。皆さんもご存じだろうか。

 ドリットとは忘れもしない2009年1月、友達に誘われてデンマーク・コペンハーゲンの公演を訪れたのが出会いのはじまりだ。深紅のドレスに包まれた彼女のパフォーマンスは旋律が生き物のように躍動し、胸を穿つほど衝撃的で、終演後にバックステージへあいさつに行った友達とは離れて外に出て、真冬の凍てつくような北欧の夜を歩き回ったが、高まりきった興奮を抑えるのにひどく時間を要したのを今でも鮮明に覚えている。私はあまりに素晴らしい現象に出逢うとひとりになることを欲してしまうらしい。

 翌日われにかえったとき、高揚し過ぎたせいで楽屋へ会いに行けなかったことを深く悔いたが、それから約4年後、文字通り幸運の女神が私に舞い降りた。2012年の大みそか、招待されたあるパーティーで私の真横に座っていたのがほかでもない、ドリット・クライスラーだった。邂逅を渇望していた音楽家との再会がかなったのだ。彼女はテルミン奏者にとどまらず作曲家でもあり、映画やビジュアルアーティストに楽曲を提供していると知った。生まれはオーストリア第2の都市グラーツ、7歳でオペラハウスデビューを果たし、ウィーン大学で音楽学を修めてニューヨークに渡った。しかし略歴紹介はその程度で、その後に続く彩りあふれる会話を通して、こんなに偉大なアーティストがこんなに人格者なのか、否、だからこそ人格者なのかと半ばぼうぜんとしながら新年を迎え、そこから心の通う交流が始まった。

 ドリットから日本公演の合間は「エリコの生まれ育った場所で共に過ごせたら」と事前にうれしい申し出があり、思い返すと観光というよりはまるで共に暮らすような10日間を兵庫県で過ごした。真のコスモポリタンであるドリットの眼を通して改めて見るわがふるさとは、豊かな山海に囲まれ、そこで採れる食材で作られる料理は滋味深く、ファンキーで、そして何より人情にあふれるヒトビトが限りなく優しい場所だった。ドリットとの夏の1日を、想い出としてここにつづりたいと思う。

 毎年7月の第3日曜日に明石市の岩屋神社で斎行される「おしゃたか舟神事」の起源は西暦143年と言われ、今年で1880年の歴史を重ねた。明石生まれの私は、古より連綿と続く夏のこの風物詩をぜひ経験してもらいたく、ドリットの来日日程が決まった瞬間からその日の快晴を祈り続け、当日は見事に晴天。茅の輪くぐり、豊漁と安全を願う神事、そしてご厚意で乗船させていただき、対岸にずらりと並ぶふんどし姿の氏子さんたちが、おしゃたか舟を海に投げ込むと同時に自らも海に飛び込む勇姿に見ほれた。神事後は国生みの島・淡路へ向かい、橋を渡る車中で明石焼きを食べ、夏の陽光で煌く透徹の水の中で私たちは思いきり四肢を伸ばし、至高のひとときを過ごした。

 夜は友人が予約してくれた大画面のテレビを備えた畳敷きの料理店で、阪神タイガースを応援しながらわいわいと食事。年に一度のおしゃたか舟神事、瀬戸の海での海水浴、明石焼きを含む地元のソウルフードを堪能し、熱く語りながら阪神戦の観戦というすっかりローカルになじんだ形容しがたいほど鮮やかで、翌日また会うというのに帰り際は皆で何度もハグを交わし、それぞれ余韻に浸りながら帰途についた。

 ドリットの帰国前日、コンサートを拝聴した。冒頭に述べたように困難を極める楽器、テルミンをあたかも身体の一部のように扱い、まるでオーケストラのように音を重ねながら奏でるさまは、観客を完全に幽玄の世界へといざない、壮大な叙情詩の中を漂うような陶酔のひとときだった。

 「兵庫県で過ごした一生忘れられない10日間のおかげで至上の境地で演奏ができた」。終演後、ドリットは輝くような笑顔でギュッとハグしてくれた。私が育った場所での時間を心から特別に想ってくれていることがハグ越しにひしひしと伝わってきて、敬愛する友人がわがふるさとをこんなにも愛してくれたことに震えるような喜びを感じた。

 2023年のひょうごでの夏は、とりどりの絵の具が広がる鮮やかなパレットのようにただただ美しかった。