兵庫県佐用町宇根の集落
兵庫県佐用町宇根の集落

 2025年春以降のクマによる人的被害が過去最悪となった。都市部でも出没が相次いだ。農山村の人口が減って里山が荒廃し、動物の活動範囲が広がったのが一因と専門家は指摘する。背景にあるのは過疎問題に代表される中山間地域の衰退だ。

 政府の公式文書で最初に「過疎」の言葉を使ったのは1967年の経済社会発展計画、次いで経済審議会地域部会報告だった。その後2000年代から「限界集落」の用語もよく使われるようになる。65歳以上の住民が5割を超えた集落を指す。

 国の調査によると、24年4月時点の限界集落は3万1515で、5年で約9千増えた。過疎問題は60年近くが経過して、深刻化の度合いを強めている。

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 兵庫県で全域が過疎地域になっているのは宍粟市、養父市、洲本市、淡路市、多可町、神河町、市川町、佐用町、香美町、新温泉町で、近年50戸以下の集落が激増している。その一つ、佐用町宇根を訪ねた。岡山県境に近い標高300メートルほどの山間部に十数戸がある。1人か2人の世帯が多く、平均年齢は70歳を超えている。典型的な限界集落である。

 かつて宇根には40世帯ほどが暮らし、3世代家族が多かったという。祭りでは子ども相撲があり、近隣の人も来た。米や麦、葉タバコなどを生産し、養蚕も行った。山へ行けばワラビやウド、自然薯(じねんじょ)、マツタケ、薬草などが採れた。燃料は集めた薪(まき)で、味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)、豆腐、コンニャクは手作りした。屋根の茅も育てた。

 四季の恵みを享受する豊かな集落の姿がうかがえる。自給自足的な循環型の暮らしだったと言えよう。

■チョウを呼ぶ試み

 「変わり始めたのは昭和40年代から」と77歳の男性が振り返る。家が新しくなり、薪などを使わなくなった。人が山に入らなくなると、シカやイノシシが山の幸を餌にして、人里に近づいた。人口が減っていき、30年ほど前には祭りもなくなった。男性は「この辺りの集落はどこも同じ」と話す。全国の過疎地も似たような経過をたどったに違いない。

 こうした中、宇根は近年新たな取り組みを始めた。渡りチョウのアサギマダラが好む多年草フジバカマの苗作りだ。初年度からたくさんのチョウが来た。花はつぼみが色づくお盆の頃から11月まで楽しめる。香りもいい。草刈りをする意欲につながり、シカの食害などで農地が減った集落に再び季節の変化が生まれた。

 23年からは、上月小学校の児童が苗木の植え付けやチョウの観察で訪れるようになった。「わーっという歓声が聞こえるのがうれしい」と地元の女性は笑みを見せる。宇根には美しい風景が残り、そこでチョウの撮影をしたい人なども来る。この事業には国の交付金などを活用している。地域の特性を生かした住民自らの試みである点に注目したい。

■交流人口を増やす

 国による過疎対策は1970年の過疎地域対策緊急措置法制定に始まる。2021年施行の過疎地域持続的発展支援特別措置法は、移住促進や雇用創出、テレワークや遠隔医療といったデジタル化推進、交通手段や子育て環境の確保に重点を置く。

 同法に合わせ、兵庫県も県過疎地域持続的発展方針を定めた。産業振興や生活基盤整備に力を入れ、移住・定住に加えて関係・交流人口の増加を図る。県は「全体的、総合的な取り組みを進めたい」とする。

 宇根の苗作りも関係・交流人口を増やす試みだ。近隣には都市部から移住してきた家族もおり、宇根の住民との関わりも生まれている。こうした動きを広げるには活性化に携わる人材の育成などが欠かせない。人口減を止めるのは容易ではないとしても、人が少なくても安心して豊かに暮らせる仕組みが求められる。

 中山間地の人口は日本全体の1割に過ぎないが面積は6割を占める。里山や水田の維持が水源や食糧の確保に結びつく。クマ被害を持ち出すまでもなく、国土の保全は都市住民にも関わる。一部の地域の課題と捉えず、関心を深める必要がある。