■「百年の後にも知己を得ず」
海軍軍令部次長だった大西瀧治郎が東京都渋谷区の官舎で自決してから27日後の1945年9月12日、母校の旧芦田小学校(丹波市青垣町田井縄)で村葬が営まれた。瀧治郎の兄の孫、大西孝政(88)=同町西芦田=は「軍需工場にする計画のため床板がはがされた講堂で、大勢の大人に囲まれて一番前の席に座らされた」と、当時の記憶を振り返る。
■「百年の後にも知己を得ず」
海軍軍令部次長だった大西瀧治郎が東京都渋谷区の官舎で自決してから27日後の1945年9月12日、母校の旧芦田小学校(丹波市青垣町田井縄)で村葬が営まれた。瀧治郎の兄の孫、大西孝政(88)=同町西芦田=は「軍需工場にする計画のため床板がはがされた講堂で、大勢の大人に囲まれて一番前の席に座らされた」と、当時の記憶を振り返る。