飛行機ごと敵艦にぶつかり、搭乗員の命と引き換えに戦果を求める神風特別攻撃隊(特攻隊)は、1944年10月、フィリピン沖で繰り広げられた太平洋戦争最大の海戦「レイテ沖海戦」で初めて用いられた。陸海軍約4千人が戦死した作戦の発案者は、丹波市青垣町で生まれた海軍中将大西瀧治郎とされる。瀧治郎は隊員に「必死」を強いる特攻を指揮する自分自身を責め、作戦を「統率の外道」と言った。最後まで終戦に反対し、45年8月16日、特攻隊員と遺族への謝罪の遺書を残して割腹自殺した。瀧治郎はなぜ「特攻の父」と呼ばれる立場になったのか。その生涯を追う。