出石お城まつりを訪れた河合美智子さん(右)と峯村純一さん(左)、峯村さんのいとこの息子で、長野県上田市職員の小出亮さん=11月3日、豊岡市出石町(峯村さん提供)
出石お城まつりを訪れた河合美智子さん(右)と峯村純一さん(左)、峯村さんのいとこの息子で、長野県上田市職員の小出亮さん=11月3日、豊岡市出石町(峯村さん提供)

 豊岡での生活も8年目に突入したのだが、移住してから気づいた但馬とのご縁は、私だけでなく夫の峯村純一にもあった。

 引っ越してすぐ「出石そばは、江戸時代のお国替えで信州上田藩の仙石氏がそば職人を連れて来たのが始まり」と知った。峯村の父は、長野県上田市の出身だ。しかも豊岡市と上田市は姉妹都市という。

 すぐに義母のところへ行き自慢気に話すと「そうよ。お父さんと何度か皿そばを食べに行ったわ」と言われた。あぁ…それなら義父が生きているうちに移住したかった。どんなに喜んでくれただろう。少ししんみりした気分で義母が出してくれたアルバムを見て、私は目が点になった。

 陸上部の合宿でハチ北、大学の仲間と海水浴で竹野海岸、家族旅行で城崎に余部鉄橋と、出るわ出るわ。若き日の峯村は、全力で但馬を満喫していた。私が病気にかかる前に「移住したい」と相談した時、「僕は行ったことないんだから、いきなりは無理だよ」って言ってたのに…。

 「当時は市町合併の前だから、豊岡と聞いてもピンとこなかったんだなぁ」なんて笑うが、なんだかな…。「もっと早く移住できたじゃん!」と少し、いやだいぶ悔しい気もするが、それが巡り合わせというものなのだろう。

 巡り合わせといえば、先日の出石お城まつり。毎年、上田市と交流があるのは知っていたが、今年は上田市役所の秘書課で働く峯村のいとこおい、小出亮君が交流事業の一環で訪れていた。

 私は初対面、峯村は10年以上ぶりの再会。連絡先を聞かず待ち合わせもせず向かった私たちが、人混みで帰路につくギリギリのタイミングの亮君に会えたのは、的確な情報をくれた実行委員ほか皆さんのおかげ。何より11月3日が誕生日の義父の導きに違いない。

 江戸時代から続くというご縁が巡り巡って、現代につながったと考えるとロマンを感じるし、私たち夫婦が但馬で暮らすことは昔から決まっていたのだと思わずにいられない。

 そして、記事を読んでくれた方が一人でも信州・上田に親近感を持ってくれたらうれしいし、豊岡市と上田市の交流がさらに深まることを願っている。