2015年10月、出石永楽館のイベントに東京から参加し、楽屋で自撮り(河合美智子さん提供)
2015年10月、出石永楽館のイベントに東京から参加し、楽屋で自撮り(河合美智子さん提供)

 先日、テレビ番組「徹子の部屋」に夫の峯村純一と出演し、たくさんの反響をいただきました。声をかけてもらう機会が増え、うれしい限りです。そこでよく聞かれたのが「なぜ移住することになったのか?」。これまでもいろいろな場面で話してきたことですが、改めてここで振り返ってみようと思います。

 2015年10月、豊岡市の出石永楽館のイベントに誘われた。まだガラケーだったし、事前に調べることもなく、まっさらな状態で言われるがままやってきたのだが、但馬空港に降り立ったときから妙にワクワクして、不思議な懐かしさを感じた。

 秋晴れの青い空に山と川と田んぼ、一見どこにでもありそうな田舎の風景がキラキラしていて、そして何といっても、会う人の思いやりにあふれた優しさが心地よかった。

 直感的に「ここに住んだら幸せになれる!」と、私は東京に戻ってすぐ、そのころはただの同居人だった峯村に「移住する」と宣言した。しかし、あっけなく玉砕。「仕事柄、東京にいないと大変だよ。第一、豊岡? 僕は行ったことがないし、まずは一緒に旅行してそれで僕も気に入ったらそのとき考えよう。老後の楽しみにとっておくのもいいんじゃない?」。珍しくスマートな説得に、引き下がるしかなかった。

 私はその後、1年もたたないうちに脳出血を発症。「生きてるだけで丸もうけ」を実感し、今までの価値観はひっくり返った。入院生活を支えてくれた峯村と退院後に入籍し、嵐のような日々が少し落ち着いた18年6月、「移住のタイミングって今じゃない?」と思いついた私に、以前は全く乗り気でなかった峯村は「それもありだね」と同意してくれた。

 移住から6年半、縁もゆかりもないと思っていた但馬・豊岡。実はたくさんのご縁がつながっていることを後から知ることになるのだが、その話はまた次のお楽しみ。