WBC世界フェザー級王座を奪取し、ベルトを巻いて母裕美子さんの遺影を掲げる長谷川穂積=2010年11月26日、日本ガイシホール
WBC世界フェザー級王座を奪取し、ベルトを巻いて母裕美子さんの遺影を掲げる長谷川穂積=2010年11月26日、日本ガイシホール

 兵庫のジムから初の世界王者となった長谷川穂積(兵庫県西脇市出身)は、2005年に世界ボクシング評議会(WBC)バンタム級王座を獲得し、フェザー級までの3階級を制覇した。通算41戦36勝(16KO)5敗。16年に樹立した、男子の国内最年長となる35歳9カ月の世界王座奪取記録は今も破られていない。

 KOは、ボクシングの醍醐味(だいごみ)だ。危険を承知で打ち合う選手は勇敢に見えるが、長谷川は「実は殴り合いは楽」だと言う。「先に前に出て手を出している方が、プレッシャーをかけてポイントを取れる気がする。僕も打ち合いに走った時期がある」。バンタム級で10度防衛。1階級を飛ばしてフェザー級王座を獲得した際には、特に好戦的なスタイルをとった。

 しかし、ある時わずかな異変を感じた。ヘッドギアをして行うスパーリングで「(相手のパンチに)前はこんなに効いたかなと思うようになった」と打たれ弱くなった自分に気づいた。その後は勝つために「打たせずに打つ」ボクシングを目指す。相手のパンチの威力を体の位置やタイミングで逃す技術も習得した。

 現役終盤の長谷川は、激しく打ち合っているようで、実は相手の攻めを芯で食らうような場面は少ない。17年間のプロ生活でたどり着いた境地は「頭(思考)も体も一番しんどい、テクニックを使った駆け引き」という高度な技術戦だ。

 「体は鍛えるごとに比例して強くなるが、脳は逆。試合をやればやるほど確実に(ダメージの蓄積で耐性が)弱くなる。どんなことをしても試合前の状態に回復することはない」。しかし、それを受け入れられたのは引退後のこと。「現役の時に認めてしまうと選手は(心理的に)弱くなる。絶対に認めないし、認めるべきではない」と断言する。

 選手が自分を守ることは難しい。では、誰が守るのか。元王者は「大事なのはセコンド。でも、日常生活まで一緒ではない」と、家族や友人らを含めた周囲の目の大切さに触れる。自身もボクサーを育てるジム会長を務める。「僕はストップは早いに越したことはないという考え方。文句を言われても、早く止める方針は決めている」

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 長谷川は10年、バンタム級王座陥落の直後に母裕美子を病気で亡くした。生前の母は、息子が傷のないきれいな顔で終える試合が好きだった。16年に王者のまま引退。その際には「無事で健康で、これからもいろんなことに挑戦できることを喜んでくれているはず」と天国の母を思った。

 解説者としてリングサイドに座る今、どんな技術論より力を入れて説くのは「パンチをもらわない」「ダメージを残さない」こと。何より伝えたいのは、その重みだ。

=敬称略=(船曳陽子)

=おわり=