馬淵かの子さん
馬淵かの子さん

 水泳の飛び込みで五輪3大会に出場し、指導者としても多くの一流選手を育てた馬淵かの子(まぶち・かのこ)さんが4日午後7時48分、肺炎のため神戸市の病院で死去した。86歳。同市兵庫区生まれ。葬儀は家族葬で行った。喪主は長女で1984年ロサンゼルス五輪出場の湯浅(ゆあさ)よしのさん。

 松蔭中(同市灘区)で飛び込みを始め、松蔭高時代に日本選手権や国体で優勝を重ねた。松蔭短大1年の56年、メルボルン五輪で3メートル板飛び込み8位、高飛び込み10位。編入した関西学院大を卒業後の60年に倉敷レイヨン(現クラレ)に入社し、同年のローマ五輪にも出場した。64年の東京五輪はメダル候補として臨んだが、3メートル板飛び込みで7位に終わった。

 現役引退後は、国内初の屋内飛び込みプールを持つ宝塚スイミングスクールなどを拠点に指導者として尽力。76年モントリオール五輪出場の角丸(現三浦)房子さんや長女のよしのさん、シドニー五輪高飛び込み5位の寺内健さん、昨夏のパリ五輪で日本飛び込み界初のメダルとなる銀メダルを獲得した玉井陸斗(須磨学園高)ら多くのトップ選手を育てた。

 兵庫県水泳連盟顧問や、宝塚市水泳協会会長などを務めた。

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