カメラの前で、荒川博之さん(中央)から震災当時の話を聞く三条杜夫さん(左)=神戸市長田区本庄町2
カメラの前で、荒川博之さん(中央)から震災当時の話を聞く三条杜夫さん(左)=神戸市長田区本庄町2

 阪神・淡路大震災直後、地元ラジオで神戸の惨状を伝えたフリーアナウンサーの三条杜夫さん(78)=神戸市垂水区=が、震災記録映画の制作を始めた。「あの時、何があったのか。31年がたつ今こそ、震災を知らない世代に伝えたい」。神戸や阪神間を歩き、当時を知る人たちにインタビュー。自身が撮った写真約千枚も活用し、来春の完成を目指す。(上田勇紀)

■「地獄ってこのことや」

 「お亡くなりになった方の遺体を、ここに安置されたのですね」

 10月初旬、神戸市須磨区のJR鷹取駅前。カメラの前で、三条さんが、同市長田区西部の野田北部自治会副会長だった荒川博之さん(83)に質問を重ねた。

 荒川さんは1995年1月17日、激震で長田区長楽町の自宅が全壊。民生委員として1人暮らしの高齢者らの救助に走り回った。

 中には家の下敷きになるなどして、既に亡くなっている人もいた。東から火が迫る中で、戸板やござに7人の遺体を乗せ、近所の人たちと鷹取駅前まで運んだ。「とにかく火のないところへ、という思いだった」と荒川さん。「あの日は時間の感覚がない。地獄ってこのことやなって思いました」と振り返った。

 近くの大国公園でも取材は続き、映画制作のためのロケハン(下準備)を終えた。

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 話を聞きながらよみがえってきたのは、地震から3日後の1月20日、変わり果てた長田で嗅いだにおいだった。

 ラジオ関西などのリポーターをしていた三条さんはカメラを手に、生まれ育った古里の被害を撮影していた。大正筋商店街の近くに来た時、まだがれきから白煙が立ち上る一角があった。しんと静まり返っていた。人が焼け焦げたようなにおいがして、思わず手を合わせた。

 ラジオで連日、被災者の声を紹介したが、そのにおいのことは言えなかった。その年の春に担当番組が終わると、震災について話すことをやめた。「人に軽々しく語ることじゃない」。そう口をつぐんだ。

 再び震災を伝え始めたのは5年ほど前から。20代の新聞記者に「自分は震災を知らない。教えてほしい」と言われ、「はっと目が覚めた」。当時撮影した写真のDVDを制作したり、取材メモを基にした朗読劇を上演したりし、記憶をつなぐことに力を注いだ。

 「自分は震災報道の生き残り。事実を伝える責務がある」。そう考え、ラジオパーソナリティーの藤本志津恵さん=兵庫県多可町=ら旧知の仲間と初めての映画制作に取り組む。近く本格撮影に入り、三条さんが聞き役となって被災者らの証言を集め、1時間程度にまとめる予定だ。「知らないから知りたい、そんな若い世代に見てもらえる映画にしたい」

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 映画のロケハンの様子は藤本さんのユーチューブ番組「しーちゃんのちょっと気になる方々」から視聴できる。映画制作費をクラウドファンディング(CF)で募っている。CFサイト「キャンプファイヤー」で検索できる。