兵庫県立兵庫高校(神戸市長田区)野球部は、甲子園で何度も覇者になった実績を持つ沖縄県の野球部と10年以上、交流を続けている。太平洋戦争末期の同県知事・故島田叡(あきら)が、兵庫高校の前身の旧制神戸二中OBだった縁で始まった。戦後80年の今年は沖縄に遠征し、甲子園出場経験のある名門校と親善試合を行い、戦跡も巡った。(津谷治英)
■母校兵庫高と現地名門校 「学んだ歴史とプレー生かす」
南国の強い日差しが照りつける中、兵庫高校の野球部員は今月、沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」を見学した。太平洋戦争で犠牲になった約25万人の名が刻まれている。那覇高校野球部監督の上原正昭教諭(57)の説明に真剣な表情で耳を傾けた。
島田ら元県職員を慰霊する「島守の塔」も参拝し、花と白球を献じた。兵庫高校の澤田啓太郎主将(16)は、塔の奥にあるガマと呼ばれる洞窟の入り口付近の狭さに驚いた。「こんな所で執務をしていたとは信じられない。困難な暮らしが想像できた」と感想を口にした。
引率した顧問の塩谷浩正教諭(44)は野球部OB。高校時代に島田を知り、その影響で地歴科教師を志した。「平和学習を重視し、6月23日の沖縄慰霊の日は特に力を入れてきた。生徒らに戦跡を見せられて良かった」と話した。
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島田は1901(明治34)年、神戸市須磨区出身。45(昭和20)年1月に沖縄県知事に就任し、食料調達や疎開を促進して住民保護に努め、島守の塔の付近で消息を絶った。神戸二中では野球部に所属し、俊足、巧打の外野手として活躍。兵庫高校は全校あげて功績を語り継いできた。
同窓会などの尽力で、64年には正門横に島田を慰霊する「合掌(がっしょう)の碑」を建立した。沖縄県の高校野球連盟に島田杯を贈り、同県の秋の大会優勝校が受け取る慣習が定着した。
2015年には、春の選抜大会に出場した糸満高校が本大会前に兵庫高校と練習試合を行い、野球部同士の交流を本格化。沖縄県側の野球部員が甲子園出場や関西遠征の際、同校に立ち寄り、合掌の碑を参拝してきた。その中には、プロ野球の西武ライオンズで活躍する平良海馬(たいらかいま)選手もいた。
戦跡案内を引き受けた那覇高校の上原教諭は「交流のおかげで、生徒が沖縄戦史を学んでくれるのは県民の一人としてうれしい。この絆を大切にしたい」。
交流は現在、島田の部下で沖縄県警察部長だった荒井退造の故郷・栃木県の宇都宮高校も交えた3県に拡大。同校も沖縄訪問を続けている。
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今年の親善試合は、興南をはじめ那覇、沖縄水産の3校が参加した。県外遠征が当たり前の強豪校とは違い、公立の兵庫高校にとって貴重な経験となった。
結果は1勝3敗だったが、澤田主将は「相手投手はけん制球で盗塁や走塁を阻止するなど粘り強かった」と話し、高レベルのプレーに接して「自分たちも堅守を見習い、取り入れたい」と表情を引き締めた。
マネジャーの庄司心遥(こはる)さん(16)は「島田さんの縁で、野球と戦争の歴史を学ぶ機会に恵まれた。今後の人生に生かしたい」と誓った。