「東京大空襲の日、焼夷弾が近所のおばさんの背中に直撃し、おなかを突き抜けた」。そして目の前で死んでいった。あの日の光景が「今でも時々夢に出てくる」と話す画家の村岡信明さん(93)=西宮市=は、その記憶を80年間、絵に表現してきた。今春には自伝も出し「生存者が少なくなるいま、歴史に残したい」と描き続けている。(安藤真子)
東京都江東区で生まれ育った。9歳のときに太平洋戦争が開戦し、軍国教育で育った。
「『天皇を守るために生まれて、天皇のために死ぬ』と教えられ、信じていた」と振り返る。
1945年3月10日。13歳で東京大空襲にあった。「雨のように降り続く焼夷弾を見つめていた」。約10万人が命を落とし、焼失家屋は27万戸を超えたとされる。