阪神・淡路大震災で亡くなった人たちの名が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」。訪れる人は絶えない=神戸市中央区加納町6(撮影・笠原次郎)
阪神・淡路大震災で亡くなった人たちの名が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」。訪れる人は絶えない=神戸市中央区加納町6(撮影・笠原次郎)

 神戸の女性団体がまとめた冊子に、その一文はあった。

 〈阪神・淡路大震災で、女性が千人多く亡くなったことをご存じでしょうか〉

 発行は2005年。震災10年を機に、災害と女性について考える内容だった。

 データを改めて見てみたい。震災の死者は6434人に上る。うち兵庫県内は6402人。性別不明の9人を除くと、男性2713人に対し、女性は3680人。女性が「967人」も多い。

 震災は来年1月で発生から30年になる。しかしこの間、男女の死者数の差は広く議論されてこなかった、といっていいだろう。「ご存じでしょうか」。女性団体がそう問いかけざるを得なかったほどに。

 「もともとの人口比で女性が多かったからだ」。そんなふうに片付けられてきたと、震災直後を知るベテラン記者は振り返る。

 別のデータを見よう。被害の大きかった神戸市内6区の死亡率。千人あたりの死者数は女性5・0人、男性3・7人。60歳以上では女性11・3人、男性8・8人と差は開いた。「女性の人口が多かった」だけではうまく説明できない。

 「女性は体力がないから」。そんな意見もよく聞いた。名のある防災学者もその見方を否定しなかった。

 疑問を呈した人がいる。徳島大大学院の西村明儒(あきよし)教授(法医学)。震災時、兵庫県の常勤監察医として検視に当たった経験を持つ。研究室を訪ねた私たちへの回答は、明瞭だった。

 「落ちてくるのは家の一部。体力があるから助かるというような、生やさしいものじゃない」

 あの日、西村教授は警察署の道場やお寺など急ごしらえの遺体安置所を順に回った。暗がりで懐中電灯を照らしながら布団をめくり、向き合った遺体。その多くは上半身が紫色に変色していた。「これは息ができんようになってるな、とすぐに分かった」

 神戸市内約3650人の死体検案書を調べた結果、最も多かったのは、柱や梁(はり)などに胸や腹を圧迫されて呼吸ができなくなる「窒息死」。そこに体力の差は影響しにくいという。後の県の統計では「窒息・圧死」が死因の7割を占めた。

 では、どうして男女の死者数に差が-? 質問を重ねると、西村教授はしばらく悩んだ末に答えた。

 「1人暮らしの高齢女性や母子家庭世帯など、弱い家に住まざるを得なかった人たちに被害が集中した結果とも考えられる」

 女性の死者が多いのは、阪神・淡路に限らない。東日本大震災(2011年)の発生翌年に警察庁がまとめた死者数も、女性が男性を千人ほど上回っていた。

 「阪神・淡路での男女差はまだ小さい方だ」。災害と性差に着目した研究を続け、神戸市6区の死亡率分析を行った大阪公立大の宮野道雄客員教授(地域防災)は指摘する。

 昭和南海地震(1946年)や伊勢湾台風(59年)。いずれも女性の死亡率は男性のそれより高く、単純比較は難しいが、年代によっては男女の死亡率の差が阪神・淡路の10倍に達するものもあった。

 「小さな子を連れていたために、津波や大雨から逃げ遅れた。そうした母親の役割意識が影響した可能性がある」(名倉あかり、上田勇紀)

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 「+967」。数字の向こうに何があるのか。私たちは震災で亡くなった女性たちの生と死を追った。