「焼き尽くされた街で、子ども心に両親が生きているのが支えだった。2人の容体が悪化したとき、助けたくても医者がどこにいるのか分からなかった」と振り返る松井清さん=神戸市兵庫区(撮影・小林良多)
「焼き尽くされた街で、子ども心に両親が生きているのが支えだった。2人の容体が悪化したとき、助けたくても医者がどこにいるのか分からなかった」と振り返る松井清さん=神戸市兵庫区(撮影・小林良多)

 この1年で何人が倒れ、力尽きたことだろう。戦後77年が過ぎ、被爆者の高齢化が着実に進む。残念ながら、戦後生まれの私たちにとって、直接証言を聞ける時間は多くは残されていない。「ヒロシマ・ナガサキ 今こそ伝えたい 県内被爆者インタビュー」の2回目に登場いただくのは長崎で被爆し、昨年夏に語り部活動の第一線から退いた松井清さん=神戸市兵庫区。92歳の高齢を押して、取材の依頼に応じてくれたのは「脳裏に記憶が刻まれている限り、次世代に伝えねば」の一心からだという。