届けられたヘルメットに思いを巡らせる中島恵美子さん(中央)と岡本一光専売所長(左)ら=神戸市灘区岸地通4
届けられたヘルメットに思いを巡らせる中島恵美子さん(中央)と岡本一光専売所長(左)ら=神戸市灘区岸地通4

 「阪神・淡路大震災の時にお借りしました」。一人の女性が、神戸新聞西灘専売所(神戸市灘区岸地通4)を訪ねて来たのは、昨年6月末のことだった。黄色のヘルメット二つをスタッフに手渡し、丁寧に礼を伝え、専売所を後にしたという。ヘルメットの側面には「神戸新聞」と記されているものの、専売所が貸したものではない。震災から30年近くを経て返却されたヘルメットに、どんな記憶が刻まれているのか-。スタッフたちは、不思議な縁に思いを巡らせている。(安藤真子)

 女性の応対をしたのは、同専売所のベテランスタッフ中島恵美子さん(64)。昨年6月末の昼時、自転車に乗った女性に声をかけられた。

 「震災の時にお借りし、返すのが遅くなった。その折りは助かりました。消毒もしていますので」。女性は白いポリ袋からヘルメットを取り出した。

 中島さんには、女性が70代くらいに見えたという。話しぶりも丁寧だった。「阪神・淡路の後も、東北で震災がありましたね」。そんな立ち話もした。ヘルメットの返却を岡本一光専売所長(48)に報告するため、中島さんが女性に名前を聞くと、やんわりと断られたという。

 長年、地域に根ざした専売所で働き、購読者や住民と顔なじみという中島さんや岡本所長にも、女性に思い当たる節がなく、手がかりはないという。

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 ヘルメットには「神戸新聞」に加え「発送部」の文字もあった。

 震災前後に、神戸新聞社印刷局発送部に所属していた神戸新聞輸送センター取締役物流事業本部長の飯尾真司さんは「黄色のヘルメットは災害時用で、震災前に見たことがある」。手書きの「発送部」の文字は当時の社員が書いたという。

 保管場所は、神戸新聞本社があったJR三ノ宮駅前の神戸新聞会館。地下に新聞の印刷工場があり、新聞の発送作業場もあった。

 新聞会館は震災で全壊し、社員たちが社内から資料などを運び出す様子を捉えた震災数日後の写真には、黄色のヘルメット姿も。「発送部」のヘルメットか定かではないが、新聞会館には飲食店などもあったため、関係者に貸し出された可能性もある。

 岡本所長は「30年近い年月を考えると、処分されていてもおかしくない。にもかかわらず大切に保管し、届けてもらった。ヘルメットがどういう経緯をたどり、震災のまちで役立ったのかを聞いてみたい」と話す。