■「鉄道村長」の執念ここに
1924(大正13)年12月27日、年末の黒田庄村(現・西脇市黒田庄町)。年の瀬の田畑を覆う冷えた空気を切り裂くように、警笛が響き渡った。
播丹鉄道の野村(現・西脇市)-谷川間が開通し、列車が初運行した。白い煙を吐き出す機関車を目にした村民はいっせいに畑仕事の手を止め、拍手で迎えたという。
開通5日前、神戸新聞は「福知山線と播鉄が連絡して便利になる」という見出しの記事を掲載している。多くの人が期待したこの日を、誰より待ちわびたのは、5代目村長の大城戸宗七(そうしち)(故人)だったろう。
◇
「鉄道村長」。村びとは、宗七をそう呼んだ。
1868(明治元)年に生まれ、2歳の時に大城戸家の養子となり、小学校を出ると父に連れられて農作業を学んだ。
当時、村には基幹的な公共交通がなく、商品流通は最も近い野村駅、谷川駅を起点にしていた。「村の発展には鉄道が必要」。そう考えた宗七は播鉄の社長を説き、両駅付近の有力者に協力を求め、鉄道の敷設運動を始めたという。1922年には村長に就任、谷川線建設委員長も兼務した。