防空壕への直撃免れ助かった
競輪場のバンクを必死で修繕
空襲、戦災復興、阪神・淡路大震災からのまちづくり…。激動の時代を、まちの変遷と共に歩んできた人に出会った。前田栄一さん(96)=城ケ堀町=は、西宮の「生き字引」といえる存在だ。来年で市制100周年。古老の語りに耳を傾け、地域の記憶に思いをはせたい。(土井秀人)
■2度の空襲
市制施行から3年後、1928年に産声を上げた。15歳で海軍飛行予科練習生に合格したが、病気のためすぐ寿町の自宅に戻された。そして2度の空襲に遭う。
1度目は45年5月11日。神戸市東灘区の航空機工場が爆撃され、砂柱が上がっているのが見えた。爆弾が風を切る音が、尋常ではなかった。家の裏にある防空壕(ごう)に逃げ込もうとした瞬間、近くに爆弾が落ち、吹き飛ばされるように壕に押し込まれた。「畳に土を乗せただけの頼りない壕だったが、直撃しなかったから助かった」。あたりには五つほど防空壕があり、うち三つは直撃して住民が犠牲となった。