阪神・淡路大震災の朝、300人が身を寄せた神戸ポートピアホテルのロビー。中内仁社長は当時、復旧対策本部長として、刻々と変わる状況に対応し続けた=神戸市中央区港島中町6(撮影・大田将之)
阪神・淡路大震災の朝、300人が身を寄せた神戸ポートピアホテルのロビー。中内仁社長は当時、復旧対策本部長として、刻々と変わる状況に対応し続けた=神戸市中央区港島中町6(撮影・大田将之)

 普段は絶やすことのない笑みが、30年前、この人から消えていたかもしれない。それでも、根っからのホスピタリティーと矢継ぎ早の判断で、毛布にくるまった眼前の人々のために奔走した。神戸ポートピアホテル(神戸市中央区)社長の中内仁氏(58)。1995年1月17日。生け花団体のパーティーに、貝原俊民兵庫県知事(当時、故人)の講演と、ホテルの「華やかな日常」が重ねられるはずの日だった。

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 当時、六甲台(神戸市灘区)のアパートに住んでいました。激しい縦揺れで目を覚まし、窓から市内を見渡したんですが、普段と変わらないように見えた。テレビで情報を得ようとしたら、停電していました。