蒸し豆の発売当初の苦労などを語るマルヤナギ小倉屋の柳本勇治社長=神戸市東灘区御影塚町4
蒸し豆の発売当初の苦労などを語るマルヤナギ小倉屋の柳本勇治社長=神戸市東灘区御影塚町4

 煮豆・つくだ煮製造販売のマルヤナギ小倉屋(神戸市東灘区)が手がける「蒸し大豆」が、業界初の商品化から今年で20年を迎えた。豆本来のうまみを生かし、サラダやスープ、カレーなど料理にあえられる、あの豆たちだ。健康志向と相まって市場は年々拡大し、同社はその中で7割のシェアを誇る。だが、そんな主力商品も、発売当初は売れない苦戦の日々が続いたという。開発や販売促進に携わった柳本勇治社長(68)に、歩みを聞いた。

 ■おいしいはずなのに…

 1990年代後半、水に漬けた大豆を加熱してゆでた「水煮大豆」の市場が広がっていた。昆布や煮豆のヒット商品を持つマルヤナギだったが、水煮商品は手つかずの領域だった。

 「食の洋風化で、水煮大豆がサラダなどに混ぜる用途に使われるようになってきまして。(しょうゆや砂糖などで)味がついた煮豆ではそうはいきませんから、うちは商品がなかったので『おいしい水煮大豆』を目標に開発することになりました。ただ、水煮は、うちが求める味にはなかなかならなかったんです」