「『鉄は国家なり』の言葉から、国家を支える製造業との思いがあった」
東京・品川の神戸製鋼所東京本社。山口貢社長(65)が約40年前に鉄鋼業を志した理由を思い起こす。
政府の戦後復興策「傾斜生産方式」で資源を重点配分された鉄鋼業界は、日本の高度成長をけん引した。
鉄が輝いた時代。神戸発祥の大手2社も、川崎製鉄が千葉市に戦後日本初の高炉を持つ製鉄所、神鋼が神戸と兵庫県加古川市に製鉄所を構えて業績を伸ばしていく。
関西の臨海部には、新日本製鉄や神鋼、住友金属工業などの製鉄所が並び、さながら「鉄の道」のようだった。シンボルの高炉はピークの1978年に19基を数えた。
高炉などでつくる粗鋼の国内生産量は73年に1億トンを突破。だが山口社長が入社した81年は2度の石油危機で、局面が変わっていた。
85年からの円高不況、90年代初めのバブル崩壊…。新日鉄は93年に姫路・広畑の高炉を閉じる。神鋼は95年の阪神・淡路大震災で神戸の高炉が緊急停止に陥り、本社が全壊した。
「この先どうなるんだろう」。甚大な被害を目の当たりにし、管理職になりたてだった山口社長は「不安を覚えた」と話す。
懸命の復旧作業で2カ月半後に高炉は再稼働するが、次は日本経済そのものが沈む。97年には北海道拓殖銀行が経営破綻し、山一証券が自主廃業を決めた。
コスト削減が求められる中、カルロス・ゴーン社長率いる日産自動車が鋼材調達を入札制とし、鉄鋼各社は値下げ競争を強いられる。
国内大手5社のうち、粗鋼生産量で世界1位だった新日鉄が優位となり、危機感を強めた川鉄とNKKは2002年に統合。JFEグループとなって新日鉄に伍(ご)する規模を確保した。
欧州では01年、鉄鋼3社が合併し世界最大のアルセロールが誕生。5年後、同社をオランダのミタル・スチールが買収し、王者アルセロール・ミタルとなる。
日本も危ない-。新日鉄と住友金属、神鋼は06年に買収防衛で合意。12年、新日鉄と住友金属は合併し、現在の日本製鉄が誕生した。大手5社は3社体制となり、神鋼だけが独立を貫いた。
00年以降、中国勢の台頭が進み、宝武鋼鉄集団を筆頭に6社が世界上位10社に名を連ねる。日本メーカーに、競争力強化と二酸化炭素(CO2)排出削減が至上命題としてのしかかる。
「社会を支える重要なインフラをつくっている価値を認めていただき、利益率を高めることが重要だ」。山口社長が表情を引き締めた。
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■高炉休止1回の会議で決断 2カ月半で再稼働「震災復興の象徴」
1995年1月17日、神戸製鋼所の神戸製鉄所(神戸市灘区、現神戸線条工場)。阪神・淡路大震災の大きな揺れで停電し、高炉が緊急停止した。
炉内の温度が下がり、鉄が固まると取り除くのは難しい。高圧ガスがたまれば、爆発するリスクさえあった。
「3カ月で復旧させろ」。当時技術部長だった池田辰雄さん(77)に、製鉄所長のげきが飛んだ。現場の想定より2カ月も早い。「できるわけないと思った」。池田さんが振り返る。
同製鉄所で神鋼が初の高炉を稼働させたのは59年。旧尼崎製鉄を傘下に収め、同社の図面で完成させた念願の高炉だった。往時には3基があった。
手がけるのは、少量多品種の自動車部品向けの鋼材。特にエンジンの弁ばねは、神鋼が世界シェア5割以上。生産が止まり、海外の自動車メーカーから早期復旧を求める声が寄せられた。
同社は、在庫を使うとともに、同業他社に代替生産を依頼して供給を続けながら、グループの社員らが約2千人態勢で復旧に当たり、2カ月半で再稼働にこぎ着けた。池田さんは「現場の力を感じた」と話す。
神鋼の被害総額は1020億円。負担は重く、累積損失を圧縮するため旧尼崎製鉄所や神戸本社の跡地などを売却した。
同じく神戸発祥の川崎製鉄(現JFEスチール)も神戸・葺合工場と西宮工場が停電や断水で生産停止に陥り、総額80億円の被害を受けた。最終的に葺合工場は閉鎖され、神戸から鉄の火が一つ消えた。
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震災後も長期不況が、神鋼、川鉄などの鉄鋼各社を引き続き苦しめる。
97年、国内では消費税率が3%から5%に引き上げられ、海外ではアジア通貨危機が起きた。厳しい経済状況の中で、99年3月期決算は、NKK(同)、新日本製鉄(現日本製鉄)、住友金属工業(同)を含めた大手5社のうち、新日鉄を除く4社が最終赤字となった。
さらに2001年には、神鋼と住友金属の株価が50円を割り込んだ。
再生に向け神鋼が頼ったのが石炭火力発電。1995年の法改正で電力卸供給事業への参入が可能になり、94年ごろから研究を続けてきた。神戸製鉄所には自家発電のノウハウがあった。休止中だった高炉2基の土地や原料岸壁も活用できる。震災後の96年に最終決断していた。
2002年、敷地内に発電所の1号機が稼働。関西電力に売電を始めた。2号機が稼働すれば年平均120億円以上の経常利益が出ると見込んだ。同年、同製鉄所長に就いた池田さんは「安定した収益源ができ、会社の黒字化に貢献できると現場も活気づいた」と話す。
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17年10月31日朝。58年10カ月にわたって生産を続け、「震災復興の象徴」とされた神戸の高炉が停止した。効率化のため加古川製鉄所への集約が決まった。
5年前の決算で鉄鋼事業が502億円の経常赤字を計上。社長就任の内示を受けたばかりの川崎博也さん(68)=現神戸商工会議所会頭=が「普通の会社ならつぶれる数字」と、たった1回の会議で即断した。
後を継いだ山口貢社長は「加古川に集約しなかったら、赤字が拡大しただろう。固定費を削減し、付加価値の高い製品を増やして、赤字にならない体質にする」と誓う。(大島光貴)