(左から)三木谷浩史、牛尾治朗、宮内義彦、南部靖之の各氏
(左から)三木谷浩史、牛尾治朗、宮内義彦、南部靖之の各氏

 神戸の臨海部を遠望しよう。重厚長大産業が集積した風景は1995年の阪神・淡路大震災以降、一変した。和田岬の三菱重工業は商船建造をやめ、灘浜の神戸製鋼所の高炉もない。春日野道界わいは象徴的だ。川崎製鉄(現JFEスチール)の神戸本社、ピーク時8千人が働いた葺合工場の跡地はHAT神戸になっている。熱気に満ちた人々のざわめきはどこへいったのだろう。

■鉄のあけぼの

 「目指すのは貿易立国だ。そこで何を売ればよいか? 鉄だ。われわれは迷うことなく製鉄業の立て直しにまい進しなけりゃならん」。耳を澄ますと敗戦後の神戸で奮闘した男の声が聞こえる。西山弥太郎。神戸の一平炉メーカーに過ぎなかった川鉄を、千葉、水島の高炉建設で鉄鋼大手に飛躍させた。巨額設備投資に刺激され、各社が高炉建設を推進し、日本の高度成長の扉が開いた。

 松下幸之助や井深大(いぶかまさる)ら同時代の経営者に比べると地味な存在だ。世間的な名誉は求めず日本鉄鋼連盟の会長職は懇請されても引き受けず、自伝も残さなかった。近年、再評価が進む。作家黒木亮は小説「鉄のあけぼの」を書き、経営史家濱田信夫は評伝をまとめた。特筆されるのはその革新性だ。「産業の将来を切実に模索し、格闘し、突破口を開いた鉄鋼企業家」(濱田)とされる。

 64年に入社し、社長の西山の訓示を聞いた新人の1人が数土(すど)文夫(81)=JFEホールディングス(HD)名誉顧問=だ。後に社長、NKKと統合後のHD社長を歴任、東京電力会長も務めた。「書を読め、異分野の人と付き合え」と説いた西山の語り口を思い返す。「失われた30年といわれるが、新しい価値を生み出す創造力をなくしてしまった。海外で学ぶ若者も減った。西山さんを育んだ進取の気概を取り戻す必要がある」

■自主独立の気風

 川崎造船所(現川崎重工業)をけん引した松方幸次郎、その薫陶を受けた西山、三井、三菱をしのぐ商社・鈴木商店を育て上げた主人鈴木よねと大番頭金子直吉…。先達に続く存在として数土は2人の経営者の名前を口にした。ウシオ電機の牛尾治朗(91)、オリックスの宮内義彦(87)。「2人とも神戸ゆかりだ。若いときに外国に行き、一流を見ている。一流になるというDNAがある」

 兵庫出身の経営者の系譜ではこの2人にパソナグループの南部靖之(70)、楽天グループの三木谷浩史(57)を加えると雇用や年功序列重視の従来の日本的経営ではない、新時代のベンチャー像が浮かび上がる。規制改革を志向しながら市場で競争に勝ち抜くことを至上として成長を目指す。そこには高度成長をけん引した日本型資本主義がバブル崩壊以降、終焉(しゅうえん)する様子が陰影とともに映し出される。

 フロントランナーが牛尾だ。財界の論客として鳴らし、「構造改革」「市場主義宣言」を掲げた。経済同友会代表幹事、経済財政諮問会議議員などの要職を歴任した。自主独立の気風は生まれ育った姫路、神戸で培われた。「完全にインデペンデント(独立)。肩書で人を評価せず人間を尊重するところだ」。幾多の起業家を生んだ豊かな創造の培地。牛尾は後進として宮内や数土を財界のキーマンに後押しし、数土は牛尾の情熱と正義感に心酔した。「あなたの弟子の末席に私を置いてください」

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 バブル崩壊、阪神・淡路大震災は今に至る危機のきっかけとなったショックだ。「経済大国」は崩れ去り、コロナ禍、気候崩壊、ウクライナ戦争と再びの危機の淵にある。大転換の時代を迎えた今、この30年、何が生まれ、何が失われたか。現在の立ち位置を確かめたい。(敬称略)

【数土文夫氏(すど・ふみお)】北大工卒。64(昭和39)年川崎製鉄(現JFEスチール)。JFEスチール、同ホールディングス社長を歴任。日本放送協会経営委員会委員長、東京電力ホールディングス会長も務めた。富山県出身。

【西山弥太郎氏(にしやま・やたろう)】1893(明治26)年、神奈川県生まれ。東大工卒。1919年川崎造船所。50年、川崎重工業から分離独立した川崎製鉄の初代社長に就任。53年千葉製鉄所第1高炉火入れ。66年、73歳で死去。翌年、岡山県の水島製鉄所第1高炉火入れ。