人力車での日本一周に挑戦し、2022年3月、魚の棚商店街(明石市本町1)を出発した福浪弘和さん(38)=同市大久保町=が、3年7カ月かけて目標を達成した。「人力車で全国の人を笑顔にしたい」と、計2万3千人以上を運んだという福浪さん。「次は世界を歩いて旅したい」とさらなる目標を掲げる。(新田欧介)
同市出身の福浪さんは2019年、観光で訪れた東京・浅草で人力車に初めて乗り、「独特の揺れや景色に心を奪われた」。その半年後に自費で約200万円かけて人力車を購入。同商店街内の料理店「四季の味はやしだ」で板前として勤務しつつ、日曜日に県立明石公園を訪れた客を無料で乗せるうちに、日本一周を志すようになった。
「とりあえず、県庁所在地を回ってみようと思った」と福浪さん。同商店街を出発すると、神戸や大阪、奈良、名古屋などの都市で客をもてなしつつ、東へ進んだ。23年2月には記録的な寒波による大雪で動けなくなり、山梨県から明石に戻っての再出発を余儀なくされた。
福浪さんの挑戦を交流サイト(SNS)などで知った各地の人々から「うちにも来てほしい」とのメッセージが頻繁に寄せられ、鹿児島県のトカラ列島や奄美大島にも滞在。旅の終盤には北海道や東北、関東各地を回り、今月9日、約4万キロにおよぶ旅を終えて明石に帰ってきた。
人力車は子どもたちにも人気で、一日に何度も利用し、夏休み期間中に100回以上乗せた小学生も。「子どもは楽しいと思ったら素直に気持ちを伝えてくれるので大好き」と福浪さん。その小学生とは、現在もLINE(ライン)で交流が続いているという。
旅の基本は野宿だった。一方で、料理人としての腕を買われ、現地の料亭や旅館で料理の勉強をしながら、食事をごちそうになったことも。「日本全国を歩いて一番感じたのは、日本に住む人の温かさだった。人力車がたくさんの出会いを運んできてくれた」と振り返る。
共に走った人力車の背面には、大きなカエルのぬいぐるみがある。「故郷の明石へ帰る」との思いを込め、出発時から付けている。その周りには、お世話になった人から贈られた全国各地のゆるキャラのストラップや、ステッカーがびっしりと並び、「思い出とともに人力車の重みが増しているよう」と笑う。
「エンジンもペダルも使わず、自分の足で歩くのがやっぱり好き」と福浪さん。「もう一度、明石公園でお客さんを乗せて楽しくおしゃべりしたり、お世話になった人に会いに行ったり、日本を飛び出して世界を自分の足で歩いてみたい。やりたいことがいっぱいです」と、とびきりの笑顔を見せた。
























