中国残留婦人2世としての経験を語る郭振鐸さん(奥左から2人目)ら=明石市東仲ノ町
中国残留婦人2世としての経験を語る郭振鐸さん(奥左から2人目)ら=明石市東仲ノ町

 第2次世界大戦や戦後の混乱を生き抜いた人たちが思いを語る「戦争体験談の集い」が先月、ウィズあかし(明石市東仲ノ町)であった。登壇者の一人、郭振鐸さん(65)=加古川市平岡町土山=は中国残留婦人の2世。母や自身がたどった苦難の歩みを振り返った。(領五菜月)

 郭さんの母親は1924年に樺太(現ロシア・サハリン)で生まれ、17歳で両親や兄弟姉妹と共に旧満州(中国東北部)への開拓団として中国黒竜江省に渡った。約3年後に現地で結婚したが、夫は間もなく軍へ召集された。母は8カ月後に男の子を出産した。

 45年8月の敗戦後には両親や兄弟姉妹ともはぐれ、赤子を抱えて逃げ惑ったという。夜にソ連兵が窓から侵入して「金を出せ」と脅され、肩を切りつけられたこともあった。

 長男と野宿しているところを中国人に助けられ、後にその人の息子と結婚し、6人の子どもが生まれた。郭さんは「貧しい農村で食糧が十分になかった。7人の子どもを育てるのは大変だったと思う」と振り返る。