須磨東のベンチで、先頭に立って味方を鼓舞した選手がいる。主将の山田隆太郎。目の異変の影響で出場できず、名前がスコアボードに刻まれることはない。それでも必要としてくれる仲間のために声をからした。 異変は6月。持病の片頭痛が悪化し、まぶしさに耐えられなくなった。サングラスが必須で学校を休み、野球どころではない。残酷な現実に「なんで自分が」と全てを投げ出したくなったが、「ヤマさん、来てくれ」とのチームメートの声に踏みとどまった。「みんなが迎え入れてくれた。だからやれることをやる」 練習にも入れないが補助役となり、試合では伝令や攻守交代時の出迎え、用具出し…。何でも率先して取り組んだ。 チームは14年ぶりに3回戦を突破したが、目標の「ベスト16」はかなわなかった。「かけがえのない、最高の3年間でした」。悔しさと感謝と。あふれる思いをこらえるかのように、ぎゅっと唇を結んだ。(初鹿野俊、伊丹昭史)