あの日の朝は、晴れて、寒くて、静かだった。
道路がまだすいていたので、午前7時台だったか。兵庫県西宮市の阪神総局から、波打つ道路を車で芦屋市へ走った。市役所の前で助役が部下に指示を出していた。声をかけようとすると、険しい口調で告げられた。
「とにかくな、棺おけをあるだけ用意してるところだから」
棺おけ? ぴんとこなかった。さっき沿道で、軒並み倒れた家屋を見たばかりなのに、その下で人の命が奪われたことを想像できなかった。
市の職員が車で市内を巡回するという。乗せてもらって一緒に街を見た。けが人があふれる病院。毛布をかぶった人が路上に座り込む、山手のお屋敷町。神戸市に近い芦屋西部は町そのものが消え、ほぼ全てががれきに姿を変えていた。
夕刊に原稿を送らなければ。神戸・三宮の本社に電話がつながった。勢い込んで報告しようとすると、電話口でさえぎられた。「もう、新聞出せへんかもしれん」。意味が分からない。この時はまだ、神戸が被災したことを知らなかった。
◆
午後になり阪神芦屋駅近くの三八(さんぱち)通商店街へ。普段からよく取材に訪れていた。中でも、お世話になった商店主の男性がいる。早口で面倒見の良い、かいわいの“顔”。昼も夜も通ったその店が崩れ落ちている。
アーケードの下、通路は店舗のがれきでふさがり、人の姿がない。足がすくんだ。カメラのシャッターは押せなかった。
数日後。その商店主と再会した。「生きてたね」。抱き合って喜んだ時に聞かれた。
「商店街の写真、撮った?」。いいえ、と答えるしかなかった。
「あほやな」。相変わらずの早口だった。
◆
17日の夜。倒壊したマンションで救出作業が続く。白い息と土ぼこりがほのかな明かりに浮かび上がる。
おばあさんが引きずり出された。生きている。その瞬間、声が聞こえた。「お世話になります」。日常のあいさつみたいに。息を詰めていた現場がふっとゆるむ。若い自衛隊員は涙を流していた。
あの日の光景は鮮明に浮かぶのに、あの日の気持ちが思い出せない。できたことは何一つ、なかった。
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