9月から2カ月余を北欧で過ごした。数多くの公演やワークショップをこなし、あまたの喜びと幾つかの悲しみを経験した。2021年もあと僅かとなった今、身に起きた未消化のままの事象をようやく文字にできる気がしてペンを取っている。
最初の渡航先はデンマークとし、その後スウェーデンに渡り、再度デンマークに戻る旅程を組んだ。
ところが渡航前夜、スウェーデン大使館より新型コロナに関する通知があり、それによれば日 本からスウェーデンへの入国禁止措置が再適用されるとのこと。よほどの免除事由がない限り、日本の住民である私はスウェーデンに入国することが不可能となってしまった。欧州連合に属する国々はパンデミック禍における政策をそれぞれ独自に決定しているとはいえ、スウェーデンの隣国であるデンマークへ無事降り立つことができるのか。
2021、22年秋・冬シーズンの劇場オープニングアーティストとして招待されていた私は出国までの7カ月間、四苦八苦しながらオンラインでデンマークの現地チームと公演内容やセットデザインを練りに練って準備していた。搭乗直前のビデオ会議では劇場側も私も共に、もはや祈るのみの心境だ。飛行機は経由地ドバイへ向けて滑走路から飛び立った。
ドバイで乗り継ぎ、コペンハーゲンに着陸。厚さ4センチ分の証明書・契約書を携えて入国審査官のチェックを待つ。ほどなくしてパスポートにスタンプが押され、入管を通り抜けた。 デンマークに入国できたのだ。
空港からメトロへ乗ると、そこからはコロナ禍の規制が全面解除となった世界だ。出国時、 私が住む兵庫県はまだ緊急事態宣言発令中だったこともあり、たった1日でこうも違う環境に身を置くこと、そしてこれから2カ月以上を劇場から劇場へ移動しながら過ごす生活への不安が長旅疲れと相乗して両肩にズシリとのしかかる。
ふと1年半前のことを思い出した。
2020年2月下旬、1週間の出張予定でコぺンハーゲンへ飛んだ。ところが滞在中にデンマークで1人目の新型コロナウィルス罹患者が出たところから事態は急転、私の帰国前日に都市封鎖宣言、ついで国境封鎖宣言が発令され、99パーセントのフライトが運休。自然災害の少ないデンマークでのこの状況は、第二次世界大戦以来の恐慌と国民は蒼ざめた。私はと言えば諸事情が重なり結局1カ月以上も日本へ帰るに帰れず、友人たちの助力で帰国便に乗るまでの日々をしのいだのだった。
不安と感傷は現地チームと出会った瞬間に霧散した。規制完全解除の発表と共に、劇場もついに100パーセントの観客動員が可能となり、長いロックダウン下でシーズン開幕をひたすら「忍」の字で耐えていたスタッフが「エリコ降臨!」と涙ぐんで私の無事 到着を祝ってくれた。会場入り初日から感無量である。
そして同時にそれからプレミアまでの3週間は、過去7カ月のオンライン会議で詰め抜いていたはずの計画を舞台上で具現化することの困難さを克服していく毎日でもあった。特に複雑を極めたコスチュームは、着脱だけでも数百回のリハーサルを要し、衣装の中で動けない私の脱水症状を避けるために舞台監督が何度もストローで水分を補給してくれた(衣装は写真参照)。
コペンハーゲンでのチームワークにおける純粋な喜びと狂騒的な忙しさの中、私の頭には一点の気掛かりがあった。
デンマークからスウェーデンに入国の際、10月初旬の時点でまだワクチンパスポートの提示が義務付けられていた。私が持つ紙媒体の接種証明書はデンマークでは有効だが、スウェーデンでは公的に認められておらず 、海岸から肉眼で見える隣国は手に届くほど近いようでひどく遠い。次の公演先、ストックホルム入りの準備と言っても政府の新たな声明を待つより他はなかった。
コペンハーゲンの劇場公演最終日、ご来場頂いた友人より朗報がもたらされた。国境間の規制が解除され、デンマークからスウェーデンへの入国は無条件で可能となったとのこと。念のためPCR検査をして陰性証明書を手にすると、私はストックホルムへ向けて電車の旅に出た。
現地入りするや、再び劇場とリハーサル室の往復生活が始まった。異なる演目のプロダクションが3つ、それと並行して1週間のワークショップと非常に厳しいスケジュールだ。
肉体的にはハードだが 、ウェブ会議から抜けて舞台で共に作品を創る作業はここストックホルムでも言葉に尽くせぬほど幸せだった。そして今年一番の体験はなんと言っても、ベテラン女優と来年のプロジェクトに向けてのワークショップで未知の世界への扉を開かれたように実り豊かな1週間を過ごしたことだ。演者として、また尊敬すべきヒトとして真の意味での「惚れる」という感情はこういうことかもしれないと思った。
ワークショップ最終日、私たちは来年のプロジェクトへの確かな手応えを感じながら「年が明けたらまた逢おうね!」と強く手を握りあって別れた。この女優との邂逅は何にも勝る宝だった。
翌早朝。携帯が鳴り、女優の子息が前夜にギャングの放った銃で射殺されたと告げられた。 享年19歳。スウェーデンでは知らぬ者はいない、若すぎる才能は忽然とこの世から消えた。 昨日握った彼の母の手の温もりはまだ我が掌の中にある。
ニュースは彼の死で埋め尽くされ、私の周囲も騒然となった。ひとりにならなければトチ狂っていきそうだ。滞在していたホストファミリーの家を辞して私はホテルに部屋を取った。 何も食べていないのに吐き気が止まらず 、せめて飲み物だけでも買いに行こうと外へ出ると、目の前の広場に無数のろうそくの光が揺らめいているのが見えた。多くの献花、そして祈りを捧げる人々。現実からひと時だけ逃避しようとした私が地理感のないまま予約したホテルは、射殺現場から直ぐの場所に建っていたのだった。
19歳の若者が銃弾により命を奪われた場に心の準備が全くないまま直面してしまい、私は完全に腑抜けた。まんじりともせぬまま朝が来て、友人の車で劇場入りし、公演準備の総仕上げにかかった。初日を迎えて、幕が閉じて、また別の公演会場に移る。繰り返しを繰り返すう ちに、私のスウェーデンでの行程は終了した。舞台に立っているとき以外の私は腑抜けたままだったと思う。後から送られてきた多くの写真を見ても、そのとき何を話し、何を感じたか全く思い出せない。
虚脱状態のままハロウィンの日にデンマークへ戻ってからの3週間半は、9月に入国した時の弾けるような活気に満ちた雰囲気とは明らかに異なるものだった。パンデミックの再来が次の通りの角まで近づいているかのような重苦しさが感じられ、テイクアウトのお店でもワクチンパスポートの提示が求められるようになっている。今年最後の欧州公演に向けて仕事に没頭しつつ、安全に帰国するための対策が最優先の課題となった。
緊急事態宣言下の日本からポストパンデミックに移行した北欧に渡ったのはたった2カ月前だ。その60日で、日本の新型コロナウィルス罹患者は激減し、一方欧州では再度のロックダウン検討に関する報道が増えていった。海外渡航者という脆弱な立場の私を熟慮して、最善の感染対策を取ってくれたチームの厚情には感謝しかない。
検査に関しては賛否両論あろうが、最後の公演が終わるまで街中にあるPCR検査場を定期的に訪れて、帰国直前に2回、帰国後に空港で1回、そして14日間の隔離の後、今年の海外公演旅程を完遂した。
と、ここまで書いても何もかも未消化のままだ。冒頭で述べた通り、起こったことをただ文字にすることしか叶わなかった。
私は明日、今年最後の演奏をする。リクエストにショパンの「英雄ポロネーズ」を頂いており、練習のため鍵盤に向かう行為がこころの正気を保つことに繋がっていると再確認してい る。
どうかよいお年を。
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