経済大転換 「失われた30年」を超えて
第2部 雇用創造の夢(下) パソナグループ代表・南部靖之氏 「共助の社会」淡路島で挑戦
■日本的な働き方は幸せなのか
「社会の問題点を解決する」ことを企業理念に、働く場を求める女性、若者、シニア、障害者に就業の道を切り開いてきたパソナグループ。好不況に応じて雇用の調整弁にされやすい製造業派遣には、タッチしていない。
創業者、南部靖之氏(71)が今、思い描く「雇用創造の夢」とはなんだろう。
「まずは、働きたい人が働きたい時に働ける社会。副業・兼業ができて、キャリアを生かして転職もどんどんできる社会。会社依存から脱却して、個人が自立する社会の実現です」
もう一つあるという。「『ミューチュアル・ソサエティー』の実現。かつての日本にはあったが、東京一極集中の進展の中で失われた『共助の社会』です」
南部氏が夢の実現の舞台に選んだのが、淡路島だ。
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南部氏の肝いりで、パソナは2020年、一部本社機能の島内への移転を開始した。山中に構えたビジネス拠点「グローバルハブスクエア」をはじめ、島内に点在するオフィスで、移住した社員と地元採用の社員など計約1260人(22年5月末)が働いている。
周辺では、全長約100メートルのウッドデッキで座禅、ヨガなどを楽しめる木造建築物「禅坊靖寧(ぜんぼうせいねい)」や、アニメの体験型テーマパーク「ニジゲンノモリ」、ハローキティのレストランなどを展開。「過疎の島」を活気づけている。
さらに、25年大阪・関西万博を見据えて、外資系ホテルの誘致、音楽・スポーツイベントを開催できるドームや空飛ぶクルマの発着場の建設、客船の航路開設などの構想も温める。
パソナの施設が集まる淡路市の人口は20年、転入者数が転出者数を上回る「社会増」に転じた。観光客数もコロナ禍で一時落ち込んだが順調に増加。門康彦・淡路市長は「淡路市の職員になりたいと、島外から希望者が来る。実際に入った者もいる。従来、なかったこと。税収も増えた」と語る。別荘の建設も相次ぎ、島の風景は大きく変わった。
そんな島で、南部氏が目指すのが、個人が思い思いのスタイルで働きつつ、助け合って生きる「共助の社会」の実現だ。
例えば、パソナで働きながら、農業にも取り組んで地域経済に貢献する。あるいは、オフィスで半日働き、残りは趣味の音楽に使う。時々、社員の子どもたちに楽器を教える。移住した社員の中には、この助け合いの仕組みがあるからこそ、安心して子育てができると、計画して出産に至ったケースもある。
「日本的な働き方は幸せなのか。僕は、人間らしく、楽しみながら働き、生きられる仕組みをつくりたい。一般の企業は忙しすぎて、なかなかできない。やればできる。その土地に合った生活、働き方のモデルを示したいんです」
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移転構想は、11年の東日本大震災を経て、緊急時の事業継続の観点で15年ごろからあった。社内に消極的な反応もあり、なかなか煮詰まらなかったが、20年の新型コロナウイルス流行が、脱東京の背中を押した。淡路での業務は、当初予定していた経理・財務など以外に、コロナ禍を経て小売店や観光施設で導入が進みつつあるアバター(分身)による接客など新たな事業にも広がりつつある。
絶えず変化する社会環境、産業、価値観とどう向き合うか。淡路島での活動は、雇用を生み出し、変革をリードしてきた南部氏の半世紀にわたる挑戦の集大成なのかもしれない。