「誰も俺らを止められない」。サッカーJリーグ1部(J1)をヴィッセル神戸が初制覇した興奮は3日の最終節も冷めることなく、敵地パナソニックスタジアム吹田(大阪府吹田市)に詰めかけたサポーターが声をからしてチャント(応援歌)を響かせた。胸に去来するのは、あの日からの航跡。1995年1月17日、クラブ発足後の初練習を予定した朝に阪神・淡路大震災が起きた。
後に看板選手として「ミスター神戸」と呼ばれる永島昭浩(59)は当時、清水エスパルスに所属し、静岡県内の自宅にいた。「偶然にも震災の夢を見ていた」。古里の被災を伝えるチーム関係者からの電話も夢の続きと思った。
神戸市須磨区の実家と連絡がつかず、新幹線に飛び乗った。名古屋で近鉄に乗り換え、大阪・難波から車で向かったが、渋滞で進まない。同市長田区の山陽西代駅に着く頃には夜が深まっていたが、周りは明るかった。「火の海だった」