世界を巡り、姫路の古民家にたどり着いたピアノ。地域のイベントで演奏が披露された=姫路市網干区新在家、片岡家住宅
世界を巡り、姫路の古民家にたどり着いたピアノ。地域のイベントで演奏が披露された=姫路市網干区新在家、片岡家住宅

 100年以上前にドイツで作られ、ロシア、香港、長崎-と世界を巡り、ロシア革命や原爆投下など激動の時代をくぐり抜けたという1台のピアノがある。昨春、姫路市網干区新在家の古民家「片岡家住宅」に引き取られ、18日に初めて地域住民の前で演奏が披露された。築320年を超える町家に、歴史に翻弄(ほんろう)されたピアノの音色が響いた。(金 慶順)

 光沢のある茶色に、かつて燭台(しょくだい)が付いていたとみられる装飾。ドイツ・ドレスデンのローゼンクランツ社が手がけたアップライトピアノだ。製造年は定かではないが、内側に印字された番号から1910年前後に作られたとみられる。

 同市網干区出身で、大阪音楽大の井口淳子教授(64)は「他のピアノよりも音が広がり、深く響く」と話す。ピアノの存在を知ったのは昨年2月。長女から「ドイツ製の古いピアノの引き取り手を探している」という男性を紹介された。

 ピアノは37(昭和12)年、男性の祖父で長崎医科大(現・長崎大医学部)教授の竹内清医師(兵庫県出身)が生前、香港の楽器店で購入したもの。その店で「ロシア革命から逃れてきたロシア人の持ち物だった」と説明されていた。

 男性の母親が生前に語っていた話や、亡命者の音楽を研究する井口教授が調べたことをつなぎ合わせると、ピアノがたどった物語が浮かび上がる。

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 ドレスデンで作られたピアノは、裕福なロシア人に買われてロシア西部の街へ。だが17年のロシア革命で街は混乱し、持ち主はピアノとともに国外へ亡命する。香港までたどり着いたが、何らかの事情でピアノを手放した-。

 「多くの人が着の身着のままで逃れたであろう中、ピアノによほどの愛着があったのでしょう」。井口教授は想像を膨らませる。

 竹内医師は37年、ヨーロッパ留学から帰国中に寄った香港で、娘のためにこのピアノを購入。長崎市鳴滝の自宅へ持ち帰った8年後、原爆が落とされた。自宅は爆心地から3~4キロ離れており、窓ガラスが割れたが家族やピアノは無事だったという。以前から結核を患っていた竹内医師は、終戦翌年に病死した。

 男性の母親で、竹内医師の三女であるよし子さんは、終戦当時18歳。戦後結婚して神戸、大阪、名古屋などで暮らす中でいつもピアノをそばに置き、講師として多くの子どもたちに教えた。2024年に97歳で亡くなったが、高齢になってからも奈良の自宅で弾いていたという。持ち主亡き後、男性はピアノを大切にしてくれる人を探し、井口教授に出会った。

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 井口教授は初めてそのピアノを弾いたとき、実家近くの片岡家住宅が頭に浮かんだという。江戸期に龍野藩大庄屋だった片岡家の居宅で、近年は子どもたちが集う「寺子屋」としても活用されている。同住宅の保存会長で現在の所有者である東(ひがし)和恵さん(57)が相談を受け、譲り受けることになった。

 調律を終えたピアノは18日、商店街のイベント「あぼし日曜朝市」で演奏された。東さんの知人らが奏でるアコーディオン、ギター、ユーフォニアムなどと「上を向いて歩こう」を合奏。地域住民や子どもたちもカスタネット、タンバリンで参加した。東さんは「世界中を巡ったピアノが縁をつなぎ、ここにいろんな人を連れてきてくれる気がする」と期待する。

 ロシア革命や第2次大戦などで失われる可能性もあったピアノ。井口教授は「歴史を直視しない動きがある中で、この音を聞けば20世紀前半の世界で起きた出来事が脳裏に浮かぶ。歴史に思いを巡らせてほしい」と語りかける。