神戸市灘区、JR摩耶駅西にある高架下。真新しいマンションに囲まれるように古びたトンネルがある。内部は補強が施されるが、入り口の赤茶色のれんがは所々、すすけているようにも見える。
80年前の6月5日、神戸市東部などは、米軍のB29爆撃機大編隊による襲撃を受けた。次々投下される焼夷弾で火の手が上がる中、着の身着のままでこのトンネルへと逃げ込んだ、という市民の証言が残る。
「神戸空襲を記録する会」の小城智子事務局長(73)によると、一連の空襲で犠牲になったのは7500人以上。こうして寸分の差で命をつないだ人もいた。
あの日、爆撃が始まったのは午前7時半ごろ。今、せわしなく行き来するのは保育園へ向かう親子や通勤、通学の人たちだ。住民の日常を支えるトンネルは、あのすさまじい時代をひそかに記憶している。(風斗雅博)