被爆者の高齢化で、被爆体験の直接継承は「切羽詰まっている」と危機感を募らせる千葉孝子さん=芦屋市(撮影・三津山朋彦)
被爆者の高齢化で、被爆体験の直接継承は「切羽詰まっている」と危機感を募らせる千葉孝子さん=芦屋市(撮影・三津山朋彦)

 芦屋市原爆被害者の会の会長を務める千葉孝子さん(82)=同市=はこれまで91回の証言活動を行い、延べ6千人以上に話してきた。広島で被爆したのは3歳のときで、当時の記憶はほとんどない。それでも千葉さんが語る原動力は、今なお続く放射線を浴びた影響への恐れや不安だ。(聞き手・竜門和諒)

 千葉さんは79年前、爆心地から南へ約2・5キロの自宅で被爆した。その口から語られる直後の様子はほとんど、当時一緒にいた母親や兄から聞いたものだ。

 「あの日の朝、3人の兄とは別に、私は母と2人で蚊帳の中で横になっていた。家の外で遊んでいた兄が駆け込んできた瞬間に、原爆がさく裂したようで、あまりの衝撃に、母は家の裏に直撃したと感じたそうだ。家は半壊したが、全員無事だった」

■自らへその緒を