辞世の句が刻まれた石碑と、孫の秀一さん=南あわじ市倭文長田
辞世の句が刻まれた石碑と、孫の秀一さん=南あわじ市倭文長田

 死者・行方不明者が約10万5千人に上った関東大震災は発生から100年。発生時の東京市長として陣頭指揮をとったのが、南あわじ市出身の永田秀次郎(ひでじろう)(1876~1943年)だった。混乱のさなか、直面したのが膨大な遺体の扱い。衛生上の観点から、氏名の確認が追いつかないまま約3万8千遺体の火葬を命じたことを生涯気にかけ、のちに霊牌(れいはい)堂を建立するなど犠牲者の無念に向き合い続けた。(上田勇紀)