三線を手に笑顔を見せる野口由美子さん=神戸市内

三線を手に笑顔を見せる野口由美子さん=神戸市内

 筋力が維持できなくなる指定難病「重症筋無力症」に20代から向き合う中学教諭、野口由美子さん(45)=神戸市北区=に体験を聞きました。治療法は増えているものの、症状が外から理解されにくいとも言われます。入院や手術を経験し将来の夢を諦める苦しさも味わった野口さんは、周囲に支えられて音楽活動を続け、40代で教壇に復帰。「遠回りしたからこそ学べたことがある」と語ります。

 -20代で難病に。

 「当時は兵庫県内の小中学校で音楽講師を務め、スノーボードのインストラクター活動もしていました。まぶたが下がることが増え、肺炎を繰り返し、吹奏楽部の指導で力が入らず、指揮棒を落としたことも。検査で重症筋無力症と分かり、入院しました。教師やスノーボードの夢も、もうできない。人生が足元から崩れるようで苦しかった。泣いては文句を言い『何もできなくなるんだ』とふさぎ込みました」

 「退院後、周囲に病気を伝えずに教員をした時期もありますが、再び倒れました。この病気と向き合わなきゃだめなんだと痛感し、退職しました」

 -どう乗り越えた?

 「きっかけは、歌手やイラストレーターとして活躍する水森亜土さんとの出会いです。神戸のジャズライブで出会った亜土さんは『病気が何だ。人生は愉快に生きてこそ!』と。文通し、東京のライブに誘われ、絵を描く楽しさを教わる中で、私の冷えた心が温まりました。亜土さんはジャズを引き合いに『あなたにとって病気は人生最大のアドリブ(即興)』とも。光が差し込んだようでした」

 「その後、手術の後遺症を癒やすために通った沖縄・波照間島で三線文化や戦争の記憶に触れ、命や平和の大切さを自然と学びました。長野県にも一時移住し、リンゴ農園で働きながら、三線の演奏や平和の語りをさせてもらう機会も得ました。こうした人との出会いを通じて、生身の経験を伝えたいという思いが強くなり、浮かんだのが教員への再挑戦です」

 -2023年に西宮市の中学校で音楽科教諭に。

 「世の中には、目に見える障害もあれば、外からは見えにくい生きづらさを抱えている人もいます。適切な理解と配慮があれば、人は社会の中で輝くことができるのだと、私は身をもって知りました。病で教員としての『空白の時間』がありますが、遠回りしながら得られたこの経験を伝えたい。昨年は治療のために休職しましたが、今月に復帰しました。私なりの向き合い方で、生徒たちに大好きな音楽や命の大切さを届けたいと思っています」

 -同じ病気などで悩んでいる人には。

 「重症筋無力症を抱えながらの生活は困難もありますが、私は周囲の理解や配慮のおかげで自信を持てました。治療の進歩や周囲の支えがあれば、生活に『制限』はあっても『不可能』はないと感じています。人それぞれだとは思いますが、私は弱さを持ったままの自分でいい。ありのままを周囲に伝えることが大事だと思います」

 「そして、今、自分にできることは何かと考えること。『苦しいときこそ愉快に生きる』。水森亜土さんの言葉をいつも思い出します」(聞き手・岩崎昂志)