空襲後の姫路市のまち並み。手前は幡念寺=昭和20(1945)年、姫路市北条口(兵庫県立歴史博物館蔵、高橋秀吉コレクション)

 武器のシンボルである巨大な剣を地中に突き刺し、二度と引き抜かない。非戦の決意を込めたモニュメント(高さ26・75メートル)がそびえる。姫路・手柄山の山頂に立つ太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔。空襲で犠牲になった全国約51万人を悼む国内唯一の施設だ。

剣を地中に突き立てたデザインの太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔=姫路市西延末

黒い網で擬装した姫路城=昭和17(1942)年、(姫路市立城内図書館史料整理担当所蔵、橋本コレクション)

空襲を生き延び世界遺産にも登録された姫路城。白壁が輝く=姫路市本町

 北東2・5キロの先には姫路城が翼を広げた白鷺のような姿を見せている。姫路市史などによると市街地の大方が焦土と化したが、城は炎上しなかった。戦時中、防空対策として黒く染めたわら縄で擬装網を作り、天守閣や櫓、土塀を覆った。黒い天守の写真に息をのむ。いま私たちを魅了する輝く白と80年前のくすんだ黒。時を超えた対比に胸を突かれる。