【昭和45年3月】万博開会式
今、時代は大きく動いている。コロナ・パンデミック(世界的大流行)、ロシアのウクライナ侵攻、トランプ米大統領の関税政策…。先行きに不透明感が増す中だからこそ、現在地を確かめたい。私たちはどこから来て、今、どこに立ち、どこに向かって歩くのか。激動の昭和が始まって今年で100年、戦後80年になる。兵庫・神戸に視座を置き、いまいちど歴史に目を凝らしたい。
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国際貿易都市の繁栄のシンボルは神戸税関だ。高さ33メートルの円筒形の時計塔がそびえる庁舎は1927(昭和2)年の完成。神戸に惨禍をもたらした第2次大戦の戦火にも、1995年の阪神・淡路大震災の烈震にも耐えた。狭い鉄製のらせん階段を上って最上部へ。大時計は三つ。西、北東、南東を向いている。昭和、平成、令和と時代の激動を見据えてきた。

昭和2(1927)年竣工した2代目神戸税関=昭和初期
【昭和21年 国際マーケット】戦後1年たち現在のJR三ノ宮駅東にできた国際マーケット。多くの飲食店などが集まり営業した=昭和21(1946)年ごろ、神戸市葺合区(当時)雲井通 大正から昭和にかけて兵庫・神戸は都市の骨格が整っていく。港湾、道路、鉄道、河川改修、区画整理…とインフラ工事が急ピッチだ。1920年代は大衆文化やモダニズムが花開いた時代だ。ラジオの普及、近代建築、宝塚歌劇、甲子園球場…。光がまばゆい分、影もまた色濃い。川崎・三菱大争議、北但大震災と社会不安が高まる中、時代は激動の昭和へ。

【昭和35年 ブラジル移民船】見送りを受けてブラジルに向け出港する移民船「アフリカ丸」。神戸発のブラジル移民は1908年から71年まで続き約25万人が海を渡った=昭和35(1960)年1月、神戸港の新港第4突堤 金融恐慌、戦争、敗戦、焼け跡からの復興、高度成長、経済大国、バブル崩壊、大震災、長期停滞。今年2025年は昭和100年、戦後80年。一国の興亡をこれほど劇的に示した歴史は世界史でもまれだろう。とりわけ近代化をけん引した兵庫・神戸が宿す光と影のコントラストは、風土の多彩さもあっていっそう鮮やかに映る。

【昭和43年 団地の盆踊り】公営団地を新しい「ふるさと」にしようと開かれた盆踊り。地方からきた若い入居者たちで活気にあふれた=昭和43(1968)年8月、明石市松が丘、明舞団地団地の盆踊り
【昭和45年 ゾウの行進】タイから神戸港に上陸し、吹田市の大阪万博会場に向かう16頭のゾウ。多くの見物客が詰め掛けた=昭和45(1970)年8月3日、神戸市生田区(当時)、フラワーロード 戦後、大規模な闇市が神戸に広がった。ダイエーやアシックスなど生活文化産業が起こった。ブラジル移民として神戸から約25万人が渡航した。臨海工業地帯の隆盛、深刻な公害問題、ニュータウン開発。都市の青春として輝きを放ったのは海上都市で開催された神戸ポートアイランド博覧会だ。

【昭和55年 売り上げ1兆円】ダイエーの年間売り上げが1兆円に到達し、Vサインで喜ぶ中内功社長=昭和55(1980)年2月、神戸市生田区(当時)、レストラン「フォルクス」売り上げ1兆円
【昭和56年 ポートピア’81】神戸・ポートアイランドの完成を記念し開催された神戸ポートアイランド博覧会。各企業がパビリオンを出展。総入場者は予想を上回る1610万人余り。沖縄海洋博をしのぎ、大阪万国博に次ぐ規模となった=昭和56(1981)年、神戸市中央区 昭和への改元を報じた神戸新聞の紙齢は第1万392号。それから100年。4万5千号台の現在まで途切れることなくニュースが刻まれてきた。激動の世紀を写真と記事でたどる「ひょうごクロニクル」。時空を超えて人々の足音に耳を澄まし、時代の変遷を見つめる。
(特別編集委員・加藤正文、写真構成・三津山朋彦)


昭和の改元を報じた神戸新聞=昭和元(1926)年12月25日
無数のテープで別れを惜しむ南米への移民船=昭和初期、神戸港
焼け野原となった神戸・三宮で地蔵に花を手向ける人たち。背後はそごう神戸店=昭和20(1945)年9月14日付朝刊
神戸・三宮周辺は鉄道の高架下や道路にバラック建ての店舗が並び闇市と呼ばれた=昭和20(1945)年9月
戦後、神戸・元町3丁目に登場した「ジュラルミン街」は復興の大きなシンボルとなった。右奥のビルは神戸そごう=昭和21(1946)年10月
三宮にあったジャンジャン市場で飲食する人々=昭和25(1950)年ごろ、神戸市生田区(当時)三宮町
出港する「あるぜんちな丸」=昭和33(1958)年、神戸港の新港第4突堤
見送りを受けてブラジルに向け出港する移民船「あめりか丸」。昭和30年ごろ移民船は月に1、2回神戸から出港した=昭和34(1959)年12月30日、神戸港の新港第4突堤
昭和30~40年代に大量につくられた公団住宅。都市近郊に建てられ商店や銀行、郵便局なども併置。新しい生活スタイルを生んだ=昭和36(1961)年6月、神戸市垂水区の東舞子団地
完成したころの明舞団地=昭和42(1967)年2月、明石市・神戸市垂水区
それまでなかった公営団地の独特な風景は昭和30~40年代の高度成長期に形成された=昭和43(1968)年8月、明石市松が丘、明舞団地
万博最後の夜を楽しむ人々=昭和45(1970)年9月13日、吹田市
万博会場を目指したゾウたちは西宮・尼崎市境を流れる武庫川の河川敷で野宿した=昭和45(1970)年8月3日
タイ国のナショナルデーの主役を務めるため、神戸港上陸後歩いて大阪・千里の万博会場に向かう16頭のゾウ=昭和45(1970)年8月3日、神戸・三宮交差点 
ダイエー売り上げ1兆円達成で、神戸・三宮の一角は人であふれた=昭和55(1980)年2月16日、神戸市生田区
ダイエー売り上げ1兆円達成を祝う人たち=昭和55(1980)年2月16日、神戸市生田区
会場で行われた綱引きイベント=昭和56(1981)年、神戸市中央区
会場内のパビリオンで開催されたステージショー=昭和56(1981)年、神戸市中央区
神戸の街並みが再現された異人館通り=昭和56(1981)年、神戸市中央区
「ポートピア’81」の会場全景=昭和56(1981)年、神戸市中央区 
「ポートピア‘81」の開催中、夏休み最後の日曜日となり身動きできないほどの入場者でにぎわった博覧会場内のポートピアランド=昭和56(1981)年8月30日、神戸市中央区
ユニークなパビリオンが並んだ神戸ポートアイランド博覧会の会場=昭和56(1981)年8月、神戸市中央区