朝日が差し込む神戸港震災メモリアルパーク=神戸市中央区波止場町(撮影・長嶺麻子)

 6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から30年の節目を刻む「1・17」が、まもなくやってくる。地震はこの間も全国各地で相次ぎ、地球温暖化を背景に豪雨災害も激甚化する一方だ。われわれが得た教訓を生かし、安心・安全な暮らしを実現するにはどうすればいいのか。地域の未来を切り開くには何が必要なのか。兵庫県内各界のトップに、2025年の展望や決意をそれぞれ語ってもらった。

■未曾有の災害、経験伝える

 「30年前を振り返って」

 聞き手 30年前の阪神・淡路大震災は未曽有の災害でした。当時はどのような状況で、どのような思いを持たれましたか。

 斎藤元彦氏 再建の努力に敬意と感謝

 あらためて震災で犠牲になられた方々に、心から哀悼の誠をささげます。当時、私は高校生で松山市におりました。朝、一報を受け、いても立ってもいられない思いで、寮の公衆電話から実家に電話すると両親と話せたのですが、その後つながらなくなり、とても不安に駆られました。夕方ごろにはようやく電話がつながり、家も無事だと分かり、安堵(あんど)したことを強く覚えています。実家がケミカルシューズ業を営んでいたのですが、神戸の地場産業は大きな被害を受けて、大変厳しい状況でした。その中で、神戸、兵庫の皆さんが復興に向けて一歩ずつ歩みを進められてきました。被災された方は多くの悲しみを抱かれて、幾多の困難を乗り越えながら、町の復興や生活の再建に取り組んでこられました。心から敬意と感謝の意を表させていただきます。

斎藤元彦・兵庫県知事

 久元喜造氏 無我夢中で苦難と闘った

 突然の、予期せぬ大災害というのが神戸市民の受け止めだったと思います。神戸で生まれ育った母も「神戸は地震がない、ええ街や」とよく言っていました。だから当時の市民も行政も、無我夢中に苦難と闘ったということです。そういう中で、神戸市政の動きはすごく早かったです。3日後の1月20日に仮設住宅の建設を開始し、4年11カ月で仮設住宅での生活を解消しています。また、2カ月後には震災復興事業の都市計画を決定し、多くのご批判もありましたが、この状況の中で必死の対応が行われたと思います。かなり早い段階で神戸の街は復興しましたが、これは平たんな道のりではなかった。昨年10月末に新長田の震災復興事業が終結しました。30年もかかったわけです。行政としてああいう対応でよかったのか、市で検証作業を行いました。苦しみの中で、市民同士のつながり、行政と市民との関係、自治とはどうあるべきかを学んできました。そうした経験を将来に生かすことが私たちの使命です。

久元喜造・神戸市長

 川崎博也氏 官民挙げての創造的復興

 私は神戸製鋼所の加古川製鉄所に勤務していました。震災により加古川製鉄所の荷役設備は倒壊し、当時の神戸製鉄所の高炉は停止。神戸製鉄所の廃止もあり得ると当時の経営者の頭をよぎったと聞きました。現場の必死の努力により、異例の早さと言える75日で製鉄所の高炉を復旧させました。震災時の商工会議所会頭であった牧冬彦さんが残された「今、われわれの果たすべき責務というのは将来への責任」という言葉やノーリツ創業者の太田敏郎さんの神戸ルミナリエに対する思いには大変感銘を受けました。先人たちは、官民一体で創造的復興を目指し、果たされてきた。代表的なのが神戸医療産業都市構想です。今では進出企業・団体が360を超え、1万2700人の雇用を創出する日本最大級のバイオメディカルクラスターに成長しました。また2006年の神戸空港の開港も次代に向けた産業基盤整備の大きな布石となりました。

川崎博也・神戸商工会議所会頭

 高梨柳太郎氏 ライフラインとなる報道

 当時、兵庫県警本部の担当でした。阪神高速道路が倒壊している-という一報に衝撃を受けたのを覚えています。当日正午、県警が発表した死者・行方不明者数は534。その時すでに5千人超が圧死されていたことを考えると、警察組織もいわば機能不全に陥っていました。JR三ノ宮駅前にあった神戸新聞本社も甚大な被害を受け、京都新聞社の支援で新聞発行を続けることができました。当初、紙面は限られていましたが、大事にしたのが被災者の生活に役立つ報道です。メディアがライフラインになるという認識で取り組みました。さらに、力を入れたのは被災者の住まいや暮らしの再建で、現在の生活再建支援法につながっています。阪神・淡路は戦後初めて都市部を襲った大地震で多くの教訓を残しました。経験を受け継ぐという意味で、神戸新聞本社内にある報道展示室もリニューアルしました。学校や企業などでご活用ください。

高梨柳太郎・神戸新聞社社長

 「次世代に引き継ぐ教訓」

 聞き手 阪神・淡路以降、災害は各地で起こっています。教訓は生かされているのでしょうか。今なお残る課題は何でしょうか。