1995年1月17日の阪神・淡路大震災で甲子園球場のある西宮市は千人超が亡くなり、負傷者は6千人を超えた。甚大な被害に、3月開幕の選抜高校野球大会は実施が危ぶまれた。当時、兵庫・育英高の主将だったプロ野球阪神の藤本敦士総合コーチ(47)が、忘れられない30年前を振り返った。
自身は明石市の自宅マンションで、激しい揺れに目を覚ました。
「どっちが上か下かも分からず、何が起こったのかとパニックになった。電気も水道も止まった。家の中の物が全て倒れ、元に戻すところから始めた」
神戸市長田区の学校へ行けたのは約1カ月後。普段は片道40分の通学に4、5時間を要した。
「テレビが映ると、いつも通っている場所が火災で大きな被害を受けていた。初めて学校に行った時、野球どころじゃないなと感じた」