■高校中退、大卒後に「空白」…履歴書書けない
薄暗い廊下の奥から、楽しげな声が響く。窓から柔らかい西日が差し込む一室で、小学校帰りの4人の子どもたちが机を囲んでいた。
9月下旬、長田区の市営真野東住宅にある小さな集会所。宿題のプリントを広げているが、飽きたのだろう。スナック菓子をつまみ、スマートフォンを見て笑っている。緩やかに、時間が流れていく。
月2回開かれる「キッズカフェのはなれ」のいつもの風景だ。地元の障害者支援事業所が運営している。「学習支援」をうたうものの、スタッフの松永邦彦さん(54)は「無理に勉強させるところじゃない。放課後の居場所ですかね」。
子どもたちの雑談の輪に、稲本昌大さん(34)=仮名=が膝を折って加わった。その手にはルービックキューブ。いじりだす男の子に「この色を覚えているとそろえやすいかも」とさりげなく助言する。
1年半ほど前、松永さんに誘われて子どもたちと関わるようになった稲本さん。「昔の自分がいまの姿を見たら、『誰だこれ』って思うでしょうね」
彼は、3回のひきこもりを経験していた。
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須磨区のニュータウンにある団地で生まれ育った。小中学校の頃から友人は多くなかったが、高校に進むと、知り合いが誰もいない。気付くとクラスでグループができていた。
「いつの間に? みんな、どうやって友達になったの?」。1年生の冬のある日、突然家から出られなくなった。食事とトイレ以外は自分の部屋にこもる生活が半年間続いた。
そのまま高校を中退したが予備校で卒業認定の資格を得た。大学に現役合格すれば「元のレール」に戻れる-。そんな思いで勉強に打ち込んだ。
進学先は、顔見知りが誰もいない兵庫県外の大学。幼い頃から好きだった鉱物の研究に熱中し、周囲との付き合いも意外とこなせた。
◇
4年生になり、研究室に配属された。口数の少ない指導教官との関係に思い悩む。きちんと相談できないまま、卒業論文の海外調査へ。帰国後、データ不足を指摘され「何で考えてから行かないの」と叱られた。
再び、部屋から出られなくなった。不完全な論文を出して卒業し、失意のまま神戸に戻った。「まだ働いた方がましだろうか」と就職支援機関に通い、石川県の地質調査会社から内定を得た。
入社して1週間で現場監督を任された。早朝から深夜まで拘束され、休日出勤は当たり前。2年半後、出張帰りに「何かおかしい」と心療内科に直行した。
実家に戻り、新しい勤め先を見つけようとした。だが、履歴書が書けない。高校を中退、大学卒業後に「空白」の期間があり、前の仕事は2年半で退職。「こんな経歴、どう説明したらいいんだろう」
昼まで寝て買い物に行き、家族の夕食を作る生活がしばらく続いた。「これがいまの自分にできる『最大』。親がいなくなれば、それまでだ」。いつしか、そう考えるようになっていた。
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さまざまな理由で、社会のレールを外れてしまう人たちがいます。実はレールなんてないのかもしれない。でも、そこに戻ろうとあがき、果たせずにまたうずくまる。そんな彼らを包み込み、彼ら自身も誰かを包み込んだ、温かなつながりを伝えます。(井沢泰斗)
























