母多永子さんの写真を見ながら振り返る井上貴行さん=明石市内
母多永子さんの写真を見ながら振り返る井上貴行さん=明石市内

 阪神・淡路大震災で母親を亡くした会社員の井上貴行さん(32)=明石市=には、母の記憶がない。生前の写真は3枚しか見たことがなかった。それが2年半ほど前、病死した父親の遺品から多数の写真が見つかった。大切にしまってあった理由はもう聞くこともできないが、はじけるような笑顔を見せる母の姿があった。(堀内達成)

 あの日、芦屋市楠町で被災した。母多永子さんの実家で、両親と兄、母方の祖父母の計6人で暮らしていた。台所で朝食の準備をしていた母だけが、崩れた家屋の犠牲になった。36歳だった。

 被災後、父の実家がある加東市に移り、団地で父と兄、父方の祖母の4人で暮らし始めた。芦屋や近くに住む親戚が「たかちゃん、たかちゃん」と呼んで、愛情を注いでくれた。だから、寂しさを感じたことは、ほとんどなかった。

 今でも続けるバスケットボールの大会で、両親から応援を受ける仲間たちが、うらやましい時期もあったが、「周りの人がいっぱい助けてくれた」。記憶にない母がどんな人で、何に熱中していたか、自分と母はどこが似ているのかを、みんなが教えてくれた。

 「母は実在していたけれど、守り神みたいな存在」と感じている。何か願い事があると、母に手を合わせる。病気で兄が手術をした時も「母がいるから大丈夫」と、なぜか安心できた。

    ◇    

 父の守さんは約2年半前、66歳で脳梗塞を患い、亡くなった。母の写真は、母方の祖父が他界した時、芦屋から持って帰ってきたとみられる。

 震災後、父は1歳と4歳の兄弟を抱え、ひとり親になった。病院で勤務しながら、一緒に遊んでくれたり、外食に連れて行ってくれたりもした。親戚らの集まりで母の話題が出ると、目を潤ませる時もあったが、悲しむ暇もなく、必死で育ててくれた。

 父が亡くなる前に長男が生まれた。そして昨年11月、次男が誕生した。育休を取って子どもの世話をしているが、時間はあっという間に過ぎ、へとへとになる。「ようやってたなあ」。改めて父への感謝の気持ちが強くなる。

 大阪市にある母の墓には度々訪れる。昨年末も長男と一緒に墓参りし、2人目の誕生を報告し、手を合わせた。「家族が仲良く、健康でいられるように見守って」