いまはなき西宮球場。戦前からさまざまなイベントが行われ、熱気がうずまいた=1995年8月、西宮市高松町
いまはなき西宮球場。戦前からさまざまなイベントが行われ、熱気がうずまいた=1995年8月、西宮市高松町

 当時続々発刊されつつあった夥(おびただ)しい夕刊紙群の中にあって、それと競争して打勝つ全く新しい型の紙面を造り出す才能は、津上をおいては一寸(ちょっと)見当らなかった。大阪新夕刊の編輯(へんしゅう)局長に就任すると、津上はまず大胆に横型新聞の新しい型を採用し、読者の対象ははっきりと都会のインテリ・サラリーマンにおき、文化性と娯楽性を看板にして、記事の書き方にも、取材にも、整理にも、風刺と諧謔(かいぎゃく)と機智(きち)を前面に押し立てた。戦時中の野暮(やぼ)ったい新聞を読み慣れた人々の眼には、確かに新鮮な魅力であった。
(引用は抜粋・省略。以下同)