復興支援工場から自立し、自前の建屋で操業を続ける高田工業所の高田陽司社長=神戸市西区見津が丘5
復興支援工場から自立し、自前の建屋で操業を続ける高田工業所の高田陽司社長=神戸市西区見津が丘5

 阪神・淡路大震災で被災した中小事業者向けに、神戸市が開設したものづくり工場(旧復興支援工場、神戸市兵庫区)。各社はここから再出発を図った。

 「(父は)入居できなければ、会社をたたもうと思っていたようです」。金属加工メーカー「高田工業所」社長の高田陽司(50)が話す。今は同工場を出て、神戸市西区の複合産業団地に自社工場を構える。

 父の龍造(80)が1989年に創業。ねじを締める際に挟む薄い板「ワッシャー」などを手がけたが、震災で同市須磨区の工場が半壊。休業を余儀なくされた。操業再開後も振るわず、再起を懸けて98年、ものづくり工場に入居した。