給湯器大手、ノーリツ(神戸市中央区)の創業者、太田敏郎が残した日記で阪神・淡路大震災のあった1995(平成7)年の記述が鮮烈だ。〈神戸復興の推進力となる〉。当時、67歳。全壊した本社の再建に加え、神戸商工会議所副会頭として地域再生に心を砕いた。地元企業の力を結集して11月3~5日に行った「神戸復興展」(ハイカラ博)の責任者を務め、同16日には中国・上海に飛んだ。
「上海長江-神戸阪神交易促進会議」。国の阪神・淡路復興委員会委員長の下河辺淳の肝いりの事業だ。〈午后(ごご)、交易促進会議/指名されて発言/夜、日本側主催のパーティ〉。太田は懐疑的だった。「仰々しくやったが、うまくいくはずもなかった。中国は利益にならないことはやらない」と後に述懐した。