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(上)原点 日々の仕事の根っこに
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作品をより深く味わってもらおうと、学芸員がマイクを握る解説会。会場は時折、笑い声に包まれた=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館
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作品をより深く味わってもらおうと、学芸員がマイクを握る解説会。会場は時折、笑い声に包まれた=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館

作品をより深く味わってもらおうと、学芸員がマイクを握る解説会。会場は時折、笑い声に包まれた=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館

作品をより深く味わってもらおうと、学芸員がマイクを握る解説会。会場は時折、笑い声に包まれた=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館

 阪神・淡路大震災から十四年。HAT神戸(東部新都心)に兵庫県立美術館が建てられて間もなく七年になる。「文化復興のシンボル」。開設時に掲げられたそのスローガンを前にして、あらためて思う。文化の復興とは、何がどう変わることを指すのだろう、と。館の歩みを通し、考えたい。(新開真理)

 「この絵、何か不思議ですよね。なんでだろう?」。県立美術館(県美)で開催中の「静物画の秘密展」に合わせた親子向け解説会。学芸員が、作品の背景などを分かりやすく紹介する。

 「美術を箱の中に閉じ込めず、触れてもらう機会を増やす。それが『文化復興のシンボル』として生まれた施設の役目」。企画部門を統括する越智裕二郎館長補佐は、解説会の意図をそう話す。

 前身は、一九七〇年に神戸市灘区に開設された兵庫県立近代美術館(近美)。建物の老朽化や機能面の問題などから九四年、県美の構想検討委員会が置かれ、その半年後に震災が起きた。

 被災者の生活が元に戻らない中、建設に疑問を投げかける声も出たが、九六年十月には構想を踏まえた基本計画がまとまった。「『文化の復興』と新しいまちづくりの核となる美術館」を理念に掲げた。

 二〇〇二年春、国公立としては西日本最大規模の美術館として誕生。威容を誇る外観に反し、敷居を下げるための工夫はソフト、ハード両面に及ぶ。ほぼ毎週末の無料コンサート。約二百点が並ぶ常設展では、鑑賞の手がかりに-とスタッフらが「おすすめ」の作品を選定。レストランやカフェ、ギャラリー棟などは無料で利用できる。

 近美が被災し、休館を余儀なくされた経緯を踏まえ、館蔵品の地震対策にも力を注ぐ。建物自体が免震構造だが、展示台の固定やライトの落下防止など、「来場者に、地震を思い起こさせない形で」対策を講じる。美術作品の修復部門を新設したのも、震災体験が根底にある。

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 県美は約八千点の作品を所蔵するが、現在、震災にまつわる展示はごく一部にとどまる。同館を設計した建築家、安藤忠雄さんが手がけた建物や復興事業を紹介するコーナーくらいだ。

 「美術が伝えるべきは『備えあれば憂いなし』といった教訓ではない。震災について、何もしなくていいとは思わないが(作品が回顧の域を出なければ)体験者は目を背け、知らない人は記憶をたどるだけ。そこから新たな鎮魂は生まれてこない。県美の原点は復興への願い。その点をしっかり掲げていればいい」と学芸員の一人は語る。

 震災当時、近美に勤務していた県美学芸員の江上ゆかさんは、あの体験が現在も自分の核にあると感じる。「生き残った人がよりよく生きていくため、美術に何ができるのか。それを考えるきっかけになった」という。

 いろいろな方法があると江上さんは思う。自身は、取り壊される建築物で作られたウクレレに焦点を当てた展覧会を開いた。震災を機に直面した「記憶」「再生」というテーマを「広くとらえてみたかった」。普段は目立たない修復部門を広く知ってもらおうと、絵画の洗浄作業を展示室で実演する企画も立てた。

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 多くの命が奪われ、住まいが壊れ、水やガスの止まった街で、文化や芸術の役割を自問した-。何人もの美術家らが、インタビューや手記などでそう振り返る。

 「県美には、作家らが震災で感じたことをどう生かしているのかを検証してほしい。優れた作家は絶えず社会とのつながりの中で自分を見据え、声高に(震災経験を)掲げないだろう。だが震災は、もっと望ましい社会の在り方を構想した体験でもあった。そこに立ち返り、超えていく作品は希望と力を持つ」。文化活動をする人たちの交流拠点、アートサポートセンター神戸代表の島田誠さんの言葉に、次の課題が浮かび上がる。

2009/1/16
 

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