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10年前を振り返る沢松奈生子さん=神戸新聞社 女子シングルス3回戦 ライバルの伊達に逆転勝ちし、ベスト16に進出した沢松=1995年1月21日、メルボルン(AP=共同)
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10年前を振り返る沢松奈生子さん=神戸新聞社

女子シングルス3回戦 ライバルの伊達に逆転勝ちし、ベスト16に進出した沢松=1995年1月21日、メルボルン(AP=共同)

  • 10年前を振り返る沢松奈生子さん=神戸新聞社
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10年前を振り返る沢松奈生子さん=神戸新聞社 女子シングルス3回戦 ライバルの伊達に逆転勝ちし、ベスト16に進出した沢松=1995年1月21日、メルボルン(AP=共同)

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女子シングルス3回戦 ライバルの伊達に逆転勝ちし、ベスト16に進出した沢松=1995年1月21日、メルボルン(AP=共同)

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1995・1・23

 全豪オープンで悲願の四大大会8強

 1995年1月16日に開幕したテニスの全豪オープン。沢松奈生子(当時神戸松蔭女大)が大会第8日、23日の女子シングルス4回戦で、第11シードのメアリジョー・フェルナンデス(米国)を6-4、7-6(タイブレーク7-5)で下し、四大大会で自己最高のベスト8進出を果たした。
 阪神・淡路大震災で西宮市の自宅が被災。家族の安否が分からないまま臨んだ1回戦で、当時19歳の杉山愛にストレート勝ち。3回戦では長年のライバルだが、当時6連敗中だった第7シードの伊達公子と対戦し、3-6、6-3、6-3で逆転勝ちすると、敗れた伊達は「沢松さんは捨て身だった」と評した。
 準々決勝で第1シードのアランチャ・サンチェス(スペイン)に1-6、3-6で敗れ、快進撃は止まったが同年3月の世界ランキングは自己最高の14位に浮上した。

甘さ消え無心に

 四大大会でベスト8に入るのが夢だった。ベスト16は勢いやドロー運で入れる。でもベスト8となると本当に実力がないと入れない領域。

 4回戦のプレーは一言で言うと「沢松、神懸かってますね」。解説者としてはそうとしか言えない。普段ならこんなに速い、切れのあるショットは打てない。足も軽くて、百メートルで20秒近くかかる人が10秒を切る感覚。妙に冷静で、勘も働いていた。やっていて怖いぐらい、自分じゃない感じ。あそこまで無心の境地になれたのは後にも先にもあの試合。被災地の声援などがあって、こんなプレーができたと思った。

    ◆

 ただ、第2セットのタイブレークを落としたら負けていた。体力的に限界だった。暑くて温度計は40度ぐらい。熱い鉄板の上で戦っているような感じだった。しかも自分は120パーセント以上の力をもう出していた。タイブレークにすべてをかけた。(相手の)メアリジョーとは同じスタイル。どっちが先にミスするかという展開で、1本返すたびに「絶対ミスしないから」と思った。

 タイブレークのチェンジコートで彼女が相当疲れているのが分かった。こっちも息が上がっていたけど、彼女とすれ違うときだけは必死で息を止めたことを覚えている。駆け引きで、私は息も乱れていない、というのを彼女に伝えようとした。相手が疲れていると思って私は楽になった。

    ◆

 メアリジョーとは個人的に親しいんです。母が生きているかどうか分からないときは、一緒に泣いてくれた。でも選手として、私と対戦するのは嫌だったと思う。今では「やっぱりやりにくかったよ」と話してくれる。

 技術的には特にスピードが落ちるセカンドサービスが弱点だといわれていて、シーズンオフの間にスピンをかけるなどして補った。ストロークが安定したなかで、ボレーをもっと使って前に展開する。戦略面でも進化させた。全豪前、香港のエキシビジョンマッチで、ナブラチロワと良い試合になった。自信を持って全豪に入った。

    ◆

 当時私に足りなかったのは精神面。生活の懸かった選手と対戦すると、どうしてもぬるま湯で育った甘さが出ていた。でも震災で帰る家のない今の私ほど、追い詰められた選手はここにいないと思えた。言葉は悪いけど、私に一番足りなかったものが一番必要なときにきた。体力的にもテニスプレーヤーは22、23歳、ツアーに出始めて5年から10年が一番良い時期。すべてがうまく作用した。

 震災のとき私の姿を見て、頑張ろうと思った人が一人でもいるのは本当にすごい。この仕事を選んでよかったと思えた。自分一人の力ではあのプレーは絶対無理だった。

(聞き手・小林 隆宏、写真・岡本好太郎)

=おわり=

 震災は人生最大の不幸な出来事だけど、あれがなければ今の私はなかった。常に自分に言い聞かせているのは後ろを振り返っても何も始まらないということ。やっぱり前に進むことが、自分の人生を充実させる第一歩だと思う。

略歴 さわまつ・なおこ 1973年、兵庫県西宮市生まれ。夙川高1年の15歳で全日本選手権を制し、神戸松蔭女大進学と同時にプロ転向。92年のウインブルドン選手権ベスト16、95年の全豪オープンで自己最高の8強入りした。世界最高14位。98年に現役を引退し、現在はテレビのテニス解説者などで活躍する。母はウインブルドン選手権女子ダブルス8強の順子さん。

2005/1/16
 

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