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震災による阪神高速の主な被害
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震災による阪神高速の主な被害

 阪神・淡路大震災で阪神高速道路が倒壊し、犠牲になった兵庫県西宮市甲子園浦風町、会社員萬(よろず)英治さん=当時(51)=の母みち子さん(80)が、「倒壊した橋脚には欠陥があり、公団の道路管理に不備があった」として、阪神高速道路公団(佐藤伸彦理事長)を相手に、国家賠償法に基づき、約六千九百万円の損害賠償を求めた訴訟は一日、大阪高裁(太田幸夫裁判長)で和解が成立した。

 和解条項は、同訴訟で明らかになった(橋脚強度化に向けた)科学的事実に基づき、公団側は今後の震災対策に万全を期す▽原告側は同訴訟を取り下げる▽原告、被告間に債権債務のないことを相互確認する-など。

 震災では、阪神高速の倒壊、落橋で走行中のドライバーなど計十六人が死亡。同訴訟は、震災犠牲者遺族による唯一の国家賠償請求訴訟で、公共構造物の安全性を正面から問うた。

 原告側弁護団によると、同高裁が昨年九月、みち子さんが高齢な上、阪神高速道路の耐震補強工事が進むなど、提訴の目的も一定程度達したことを理由に、原告、被告双方に和解を勧告。原告側も「国や公団に必要な施策を速やかに講じるべき責務を強く認識させた」と勧告を受け入れた。

 神戸地裁尼崎支部の一審判決によると、萬さんは一九九五年一月十七日、西宮市の阪神高速道路を走行中、阪神・淡路大震災で橋脚が倒壊し、橋げたもろとも、地上に転落して死亡した。

 一審判決では「倒壊は設計震度を上回る地震力が原因。橋脚の欠陥や管理の不備も認められない」として、公団側の主張を認め、原告側の請求を棄却していた。

 請求額は当初約九千二百万円だったが、国が遺族年金をみち子さんに支払ったため変更された。

大きな役割果たした 原告弁護団の話
 阪神・淡路大震災と同程度の内陸直下型地震から人命を守るため、国や公団に必要な施策を速やかに講じるべき責務を強く認識させ、大地震対策の必要性を広く世論に訴える上で大きな役割を果たしたと確信している。

安全対策努める 阪神高速道路公団・有賀長郎理事の話
 長年にわたる訴訟に終止符が打たれたが、阪神・淡路大震災による阪神高速道路の倒壊・落橋によって尊い人命が失われたことを忘れることなく、今後とも道路の安全対策に努力したい。

【阪神高速倒壊訴訟】

 阪神・淡路大震災で阪神高速道路が倒壊、死亡した萬英治さんの母みち子さんが1997年1月、阪神高速道路公団に賠償を求め提訴。担当裁判官が計14回交代するなどした後、2003年1月、神戸地裁尼崎支部は原告側請求を棄却した。同震災では阪神高速神戸線と湾岸線の高架橋が計六カ所倒壊、もしくは落橋、16人が死亡、重軽傷者は計79人に上った。公団の責任を追及したのは同訴訟だけ。

【倒壊訴訟の経過】

1995年 1月17日 阪神・淡路大震災。阪神高速倒壊で計16人が死亡

1995年 1月20日 旧建設省の兵庫県南部地震道路橋震災対策委員会設置。阪神高速の被災原因調査にあたる

1995年 5月14日 阪神高速道路公団が遺族に対する初の事故原因説明会で「賠償責任はない」と伝える

1995年12月18日 同委員会が「橋脚に欠陥はない」などとする最終報告書を発表

1996年 9月30日 623日ぶりに神戸線が全線復旧開通

1997年 1月16日 萬みち子さんが神戸地裁尼崎支部に提訴

2003年 1月28日 同支部で一審判決。公団側の主張を認め、萬さん側の請求を棄却

2003年 7月 2日 大阪高裁で控訴審始まる

2003年 9月10日 大阪高裁が萬さん側、公団側双方に和解を勧告

2004年 3月 1日 大阪高裁で和解成立

2004/3/1
 

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