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 被災者自立支援金の申請が28日に締め切られる。阪神・淡路大震災の教訓から、自然災害被災者の生活再建を目指し、議員立法で成立した「被災者生活再建支援法」に基づいてできた特例制度だ。それは、阪神・淡路の被災者の生活再建に役立ったのか。支援金支給の推移や特徴、市民グループに寄せられた相談などから、自立支援金を検証する。(磯辺康子、小西博美)

 同制度は、生活再建支援法の付帯決議に基づいて創設され、すでに阪神・淡路大震災復興基金が実施していた高齢者世帯や要援護世帯向けの「生活再建支援金」と、「中高年自立支援金」が、その段階で自立支援金に統合された。一部に被災地を抱える大阪府も、兵庫より半年ほど遅れて九九年一月、同じ制度を発足。大阪府では、市町村の社会福祉協議会などが実施し、府が一定額の補助金を出している。

 同制度では、震災で住居が全半壊(焼)するなど被害を受けた世帯に対し、恒久住宅への移転時に、年齢や所得に応じて最高百五十万円が支給される。支援法そのものを適用した場合、支給額は最高百万円で、領収書を求めるなど使い道が限定されるのに対し、支援金は領収書も必要なく、支給方法も一括か分割かを選択できるなど柔軟な側面がある。

 九七年に復興基金が実施した「生活再建支援金」などは、「お金が減っていくのを心細く感じる高齢者などに配慮」(県生活復興課)し、分割支給とされていた。支援金の導入で、対象者のほぼ全員が一括支給を希望した。

 一方、コミュニティーや生きがいを大切にする観点から、震災時に住んでいた市町から別の市町に移転した場合などには、通院や買い物などの交流経費として最高三十万円を上乗せ支給するなど「他にはない工夫をした」と県生活復興課はいう。

 また自立支援金は当初、恒久住宅に移転して初めて支給されるとなっていた。この点に不満は多く、九九年一月からは、恒久住宅への入居が決まった仮設住宅の世帯は前借りできると緩和された経緯がある。

 制度は、世帯や所得の基準日を震災から三年半後の九八年七月一日に置いた。この時差が制度から外れる世帯を生み、裁判でも争われる点となった。これに対し県生活復興課は「過去の被害に対する見舞金ではない。あくまで将来に向かって自立再建するための支援」と説明する。

 市町別の支給世帯数は、神戸市が約八万八千世帯と最も多く、西宮市が約二万三千世帯、尼崎市が約一万世帯で続いている。

「救ってくれると思ったのに…」/市民団体が相談窓口に/悲痛な訴え続々届く

 市民団体の「公的援助法」実現ネットワーク(神戸市長田区、中島絢子事務局長)は98年5月から、自立支援金制度をめぐる被災者の相談を受けてきた。その数は、今年3月までで約2400件にのぼる。

◆半壊世帯

 最も目立ったのは半壊世帯の不満。半壊の場合、解体の証明がなければ支援の対象にはならない。

 「家の補修に六百万円。老後資金がなくなり、生活苦」(神戸市須磨区、七十代女性)、「自宅修理費の百七十万円を保険を解約して払った」(明石市、七十代女性)。高額の出費にもかかわらず支援金が受けられない半壊世帯から、怒りの声が相次いだ。特に、蓄えを取り崩した高齢者の訴えが多い。

 「半壊の借家は住める状態でなく転居したが、解体証明がない」(尼崎市、五十代女性)・など、実質的に住まいを失った世帯でも制度の網からもれた。

◆世帯変更

 震災時なら対象世帯となるはずが、支給の基準日が震災から三年半もたった九八年七月一日だったため、支援の対象からはずれた世帯の不満も根強い。

 特徴的なのは、震災後の世帯合併のケース。「持ち家が全壊。震災後に子供と同居し、世帯所得が基準を上回った」(東灘区、六十代女性)、「震災後に結婚。提出書類では、妻の結婚前の所得がプラスされたために申請が却下された」(兵庫区、二十代男性)、「被災した母と同居。被災者でない自分が世帯主となったため支援対象からはずれた」(須磨区、四十代男性)。

 震災後に子供が独立し、世帯分離した場合などは、反対に各世帯が支給対象となり、被災者に不平等感が募った。

◆所得オーバー

 同ネットワークなどの市民団体は再三、所得基準の緩和を県などに求めた。

 約九百七十件の全壊世帯の相談のうち、一一%が所得オーバーの不満。「持ち家が全壊し、二重ローン。現状では所得オーバーだが、夫は定年間近でこれからが大変」(宝塚市、六十代女性)・など、二重ローンを抱える中高年の悲痛な声が続々と届いた。

    ◆

 中島事務局長は「自宅は無事でも、震災で店舗や仕事を失った人など、支援から抜け落ちた層は多い。有珠山の噴火災害など、今後の被災者支援を考えるうえでも、支援金の問題点をもう一度洗い出さなければ」と話す。

制度の矛盾 司法の場に

 震災後に被災者でない男性と結婚し、自立支援金の申請を却下された女性のケースは、訴訟に発展した。兵庫県揖保郡太子町の萩原行夫さん(60)、操さん(61)夫婦。行夫さんは昨年8月、神戸市を相手に処分の取り消しを求める訴訟を、神戸地裁に起こした。

 操さんは、住んでいた神戸市長田区のアパートが全壊した。岡山市の市営住宅に避難後、姫路市の仮設住宅に入居。97年11月、行夫さんと結婚した。

 自立支援金制度が発表された当初、「全壊」のり災証明を持つ操さんは「当然、自分も対象になると思った」という。制度では「世帯主が被災」を要件としており、98年に2度、操さんを世帯主とする住民票を添えて申請。所得は基準を超えていなかったが、神戸市は「(操さんが)生計を維持している確認がとれない」として却下した。99年3月には、行夫さんを世帯主として申請したが、今度は「世帯主が被災していない」と却下された。

 萩原さんとは逆に、被災者の男性が震災後、被災者でない女性と結婚し、「複数世帯」として支援金が支給されるケースもある。

 「震災で家財を失ったうえに転居を重ね、出費がかさんだのは、ほかの被災者と同じ。却下は納得できない」と操さんは提訴を決意。が、提訴の4カ月後、脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、現在は病床から裁判の行方を見守る。

 今年2月の口頭弁論では、裁判長が市側代理人に「被災者を支援することが制度の目的。もっと柔軟にできないか」と問いかける場面もあった。

 しかし、市側は「認定や却下処分は(制度の実施主体である)復興基金から委託されて行っただけ」としているため、行夫さんは今年3月、同基金を相手に支援金100万円の支給を求める訴訟を新たに起こした。

 操さんは「女性を差別した制度。行政は被災した者の立場になって考えてほしい。制度の矛盾で支援が受けられない人を残したまま、申請の締め切りを迎えるのは残念」という。

 1995・1・17 神戸でアパート全壊

 1997・11 被災者でない男性と結婚

 1998、99 「世帯主」が壁になり申請却下

<生活再建支援の経緯>
【1996年】
5月29日 市民=議員立法実現推進本部が「生活再建援助法案」を発表
7月19日 自然災害に対する国民的保障制度を求める国民会議が発足
【1997年】
3月 7日 超党派国会議員が公的援助法案作成
4月11日 貝原兵庫県知事が国土庁長官に「総合的国民安心システム」を提案
5月20日 超党派国会議員が「災害被災者等支援金法案」を参院に提出
【1998年】
2月13日 日本を地震から守る国会議員の会と自民党が「被災者生活再建支援法案」をまとめる
4月21日 市民立法案など3法案を一本化し、与野党共同提案で参院提出
5月15日 被災者生活再建支援法が衆院本会議で可決、成立
6月 5日 支援法の成立を受け、阪神・淡路大震災復興基金が「被災者自立支援金」制度を創設
7月21日 自立支援金申請スタート
11月 5日 自立支援金支給スタート
【1999年】
 1月13日 支援法の不備を指摘し、市民=議員立法実現推進本部が「生活基盤回復援護法案」を発表
 4月 5日 支援法による支援基金制度スタート
 7月 1日 豪雨災害の広島県で支援法初適用
【2000年】
 1月16日 民主党が神戸での党大会で、支援法の抜本改正をアピール

2000/4/17
 

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